Quantcast
Channel: NBAヒストリー(ひばち)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 524

New Jersey Americans vol1-a

$
0
0

N67~68シーズン


ひばち

1967年、ABAという新たなプロバスケットボール・リーグの発足に伴ってニューヨーク・アメリカンズというチームが誕生しました(ABAについてはよかったら をご覧ください)。


オーナーのアーサー・J・ブラウンは元々複数のスポーツ・チームを経営していた人物。地方都市にフランチャイズを置くチームが多かったABAにあって唯一ニューヨークという大都市を拠点としたのは、そのブラウンの願いからでした。


でも、アメリカンズはこのブラウンの願いから始まったがために何度も痛い目を見ることになります。


ブラウンは69th Regiment Armoryというアリーナをホームにしようとしていたんですが、ライバルリーグNBAのニックスがこれに待ったをかけます。このアリーナはマンハッタンにあって、創設当初のニックスも時々ホーム・ゲームを行っていた場所なんですが、ABA開幕3ヶ月前になってアメリカンズはこのアリーナを使えなくなってしまいました。


そして、アメリカンズは代わりのアリーナを探すのに苦戦。ABAの他チームのオーナーは「ニックスを怒らせたくない」との理由から協力的ではなく、やっとこさ見つけたのはニュージャージー州ティーネックにあるTeaneck Armory。これによって、創設シーズンの開幕を待たずしてチーム名がニュージャージー・アメリカンズに変わりました。


【創設メンバー】


初代メンバーは他のABAチーム同様、ルーキー&NBAに居場所がない選手たちを中心に構成されました。


(ルーキーはのちほど紹介するとして)NBA経験組からはアート・ヘイマンメル・ナウエルジョニー・オースティンという3人を獲得。

ナウエル&オースティンはNBAで特に実績のない2人ですが、ヘイマンは別。63年にニックスでデビューしてオール・ルーキー1stチーム入りを達成☆それ以降は着実に出場機会が減ってキャリアが危うくなっていたけど、これは再生のチャンスです☆


【初代HC】


抜擢されたのはマックス・ザスロフスキー。40~50年代にNBAでプレイしており、当時はシカゴ・スタッグス(のちに消滅)やニックスなどで活躍したスコアラーでした。引退後はブラウン・オーナーの所有するセミプロ・チームをコーチしていたようで、プロでのHCはこれが初めてです♪


↓や~るぞ~
ひばち


【早速トラブル】


生まれたてのABAにとって厄介なのは、既に20年ほどの歴史があるNBAの存在。今後、両リーグの間では選手獲得競争が繰り広げられることになります。そして、アメリカンズは早速その洗礼を受けました。


アメリカンズのフロントはNBAのボルチモア・ブレッツに在籍しているリロイ・エリスというビッグマンと契約を結ぶんですが(FAだったのか契約期間中だったのか詳しい状況は不明)、これが予想通り?揉めます。

最後アメリカンズは「エリスをブレッツでプレイさせない」ために話を法廷に持ち込みますが、ニューヨーク州の最高裁判所はこの主張を棄却。エリスはそのままブレッツに残ることになりました。

めんどくさい話ですが・・・こんなんまだ序の口です(;^_^A


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


アメリカンズの初戦は67年10月23日。3000人のファンの前でピッツバーグ・パイパーズと戦い、107対110で負けちゃいました。


シーズン序盤のアメリカンズはパッとせず。長い連敗こそなかったけれど少しずつ借金を増やしていき、試合によってはブローアウトされることもしばしばでした。

中でも特に深刻だったのが得点力不足・・・てことで、フロントはシーズン半ばに幾つかの動きを見せます。


●トレード&補強

・ヘイマン&デクスター・ウェストブルックを放出して、パイパーズからバリー・ライボヴィッツを獲得。

ジム・キャルドウェルを放出して、カーネルズからステュ・ジョンソンを獲得。


・そのライボヴィッツ&ドラフト指名権&金銭を放出して、オークスからレバーン・タルトを獲得。

・イースタン・リーグ(のちのCBA)でプレイしていたハンク・ホイットニーと契約。


ジョンソンはこのシーズンのルーキー。6フィート8インチ・220ポンドのF/Cですがシューターで、3Pを含めアウトサイドから打ってきます。アメリカンズでは平均8.6点・5.9リバウンド・3P成功率30.2%(16/53)をマークしました。

ライボヴィッツは6フィート2インチ・180ポンドのルーキーG。アメリカ系イスラエル人でのちにイスラエルのナショナル・チームの一員とプレイするような選手です。パイパーズでは平均20分ほどで平均9.4点をあげていました。


ヘイマンは19試合で平均13.8点と悪くない活躍を見せていましたが、ザスロフスキーと揉めており、これがトレードの一因になったようです。


↓ステュ・ジャクソンではありませぬ
ひばち


しかし、ジョンソンと違ってライボヴィッツは上手く機能せず、フロントは再度トレードを決行。それでやって来たのがスコアラーのタルトでした。

タルトはトレード時点でリーグの得点王だったサウスポーのG(平均26.9点・6.5リバウンド・3.5アシスト)。このシーズンのオールスターにも選ばれており、初期ABAを代表するスターGです(期待外れのライボヴィッツでタルトを獲れたのは、タルトもオークスでHCと揉めたから)。


タルトは速さ・強さ・身体能力の高さを兼ね備えており、ボディバランスも抜群。6フィート2インチ・195ポンドと小柄ながら強力なスコアラーでした。

アメリカンズに来てからは平均19.0点・3.9リバウンド・3.3アシストと数字を落としますが、タレント不足のチームにとっては強力な助っ人。これはとても良い動きになるんですね~☆


ホイットニーは6フィート7インチ・230ポンドのF/C。ABLやイースタン・リーグでプレイすると同時にニューヨーク・シティ・スクールの教師でもある変わり種。アメリカンズ契約後も教師は続けたそうなんですが(!)攻守にインサイドでハッスルしてくれるビッグマンで、平均16.0点・12.9リバウンドをマーク。

ウルトラマン80みたいですね☆


↓タルトって美味しいですよね♪
ひばち


アメリカンズはこれらの補強が功を奏し、シーズン半ばから盛り返しに成功。一度だけど7連勝をマークしたのが大きなプラスとなり、36勝42敗でシーズンを終了。カーネルズと並んでイースタン・ディビジョンの4位タイとなり、プレイオフ進出に望みをつなぎました(後述)。


【元祖主力】


開幕当初からチームを引っ張ったのはトニー・ジャクソン。シューターで、このシーズンは74試合で平均19.4点・3P成功率30.1%(91/102)をマーク。3Pの成功数&試投数はともにリーグ3位で、オールスターにも選ばれています♪

タルトが来るまではチーム最高のスコアラーでした。


因みにこのジャクソンはセントジョンズ大出身のワケありルーキー。元々は61年にニックスからドラフト3巡目で指名されたんですが、NCAA時代に八百長スキャンダルに巻き込まれ、NBAでプレイすることを禁じられていました。

そのため、セントジョンズ大卒業後はABLというリーグなどでプレイしていたんですが、カレッジ時代に遡ればオール・アメリカンに選ばれたほどの選手で、その実力がようやく日の目を見るようになったというワケです。


Cのダン・アンダーソンは6フィート10インチ・230ポンドのルーキー。2012年現在2人しかいないオーガスバーグ・カレッジ出身でNBAもしくはABAでプレイした選手です(もう1人はデヴァン・ジョージ)。

NBAではあまり評価されていなかったようで、65年のドラフト12巡目でシクサーズから指名されたモノの契約に至らず、ブラウンの所有するセミプロのチームでプレイしていました。ABAでは開幕戦でいきなり41点をあげるなどの活躍を見せ、全78試合で平均14.7点・11.0リバウンドをマークしています☆総ファウル数がリーグトップだったのは内緒てことでw


Gのボブ・ロイドはラトガース大出身のルーキー。ラトガース大史上最高のプレイヤーのひとりで、同大史上初めてオール・アメリカンに選ばれたのも、キャリア平均得点がチーム記録なのも、同大を史上初めてNITに導いたのも、同大史上初の永久欠番となったのも・・・ぜーんぶロイド。67年にはルー・アルシンダーエルビン・ヘイズウェス・アンセルドら蒼々たる面々と一緒にオール・アメリカンの1stチームに選出されています。この人もまたNBAからはあまり評価されてなかったみたいだけど・・・

シーズン序盤はあまり出番がなかったんですが、後半になってスターターにまで昇格!ハンドリングの良さを活かしてプレイオフに向けてのラストスパートに貢献しました。58試合で平均8.1点・FT成功率85.4%(リーグ2位)でした。


ウォルター・サイモンはベネディクト・カレッジ出身のスウィングマン。NBAのドラフトに引っ掛かったことはなく、28歳にしてこれがプロデビューとなります。

全78試合に出て平均13.3点はまずまず。このシーズンにアメリカンズにいた選手はほとんどが短命なキャリアを送るんですが、この人は生き残ります。


「このシーズンは悪くなかったのにこのシーズン限りでキャリアを終える」なんて人もけっこういまして、Fのブルース・スプラッギンスもその1人(ヴァージニア・ユニオン出身のルーキー)。70試合で平均12.2点だったんですけどねぇ・・・どんな理由があったんですかねぇ。


数少ないNBA経験組のナウエルは6フィート1インチ・170ポンドのG。62~63シーズンに39試合だけゼファーズ(現ウィザーズ)でプレイし、その後はEPBL(イースタン・ペンシルバニア・バスケットボール・リーグ)などでプレイしていました。こちらもまた76試合で平均9.6点をあげましたが、来シーズンはもういません。


この他に無名校ながらのちにボブ・ダンドリッジを排出するノーホーク州立大出身のアル・ベアード、サバンナ州立大という超マイナーカレッジ出身のジョニー・マティス、4試合だけNBA経験のあるオースティン、ボブ・マッキンタイア・・・なんて人たちもいました。


↓カレッジ時代のトニーくん
ひばち


ちょいちょい紹介しているようにロスターのほとんどが「NBAではドラフトされなかった」「ドラフトこそされたけど契約してもらえなかった」選手たち。こんなチームに集客力があるワケもなく、平均観客動員数は1000人に届きませんでした。

まだ、アメリカンズ・・・というよりABAというリーグ全体のレベルを底上げしていたい段階ですが、これからなるようになっていきますw


というワケで第5弾、ネッツ・ヒストリーをよろしくお願いします☆(因みにもし万が一ニックスを楽しみにしていらっしゃる方がいましたら大変申し訳ありません。今回も楽に書けるチームを選んでしまいました。実は最初の2シーズンくらい手をつけた下書きがあるんですが、アップできるまでいってないんです。もしかしたらネッツの途中に突然アップするかも知れませんが・・・)


Viewing all articles
Browse latest Browse all 524

Trending Articles