最近、BSでよく金田一耕助やってるんですよね。悪魔の手毬唄はお気に入りです。
サール・ベイリー
「ビッグT」と呼ばれた6フィート11インチのビッグマン。ノースカロライナ州立大出身。同大がNCAA決勝まで進んだときの主力で、83年のドラフト1巡目第7位でジャズに入団した。ジャズは、プレイだけでなく、人柄も重視したようである。
1年目の半ばには先発の座を射止め、オール・ルーキー1stチームに選出。2年目には先発として及第点の働きを見せた。カール・マローンが加入してからは控えに回ったが貢献度は高く、88・89年には控えながら平均19点を上回った。しかし、その後、プレイオフでのパフォーマンスが低調だったことや、新戦力の加入などで役割が減少し、91~92シーズンの開幕直後にタイロン・コービンと交換で、ドラフト2巡目指名権とともにウルブズへ移籍した。
低迷するチームでは起用法が安定せず、成績も急降下。94年オフにはギリシャへ渡り、95~98年はイタリアでプレイした。98~99シーズンに7シーズン振りのNBA復帰をジャズで果たし、引退を表明。イタリアではオールスターのMVPにも輝いた。
シュートが上手く、通算のFT成功率は8割を上回る。ブロックもまずまずだがリバウンドは多くない。ボランティア活動に熱心で、アナリスト、シンガーソングライターとしても活動するなど、多岐に渡る活躍を見せている模様。
シドニー・グリーン
6フィート9インチのFで、UNLV時代はオール・アメリカンに選出されている。83年のドラフトでは1巡目第5位でブルズ入り。しかし、オーランド・ウールリッジやデビッド・グリーンウッドの壁を越えられず、不本意な2シーズンを過ごした。
85~86シーズンは80試合中68試合で先発を務め、キャリアハイの平均13.5点・8.2リバウンドを記録するが、そのオフにアール・キュアトン、87年のドラフト2巡目指名権と交換でピストンズへ移籍。ここでも主に先発を務めるが、来るオフには、今度はニックスへ放出された。
移籍1年目は再び先発起用が多かったが、翌シーズンにはチャールズ・オークリーの加入で控えに回り、89年オフにはエクスパンション・ドラフトでマジックへ移籍。90~92年をスパーズで過ごし、92~93シーズン、ホーネッツでのプレイを最後に現役を終えた。
成績は平凡だが、サイズの割にシュートが上手かった。引退後はカレッジのコーチを経験。息子は2000年代中頃に少しだけNBAでプレイしたタウリン・グリーン。
セダル・スリート
ウェスト・ヴァージニア工科大出身のコンボガード(6フィート2インチ)。83年のドラフト6巡目第138位でシクサーズ入り。何とか生き残り、2年目には全82試合に出場するなど、ローテーション入り。3年目には控えながら平均9.9点をあげた。
86~87シーズンの途中にブルズへトレードで移籍。87~88シーズンの途中には更にソニックスへ放出された。89~90シーズンには平均11.4点とキャリア初の二桁アベレージを記録し、翌シーズンには80試合中57試合で先発。ルーキーのゲーリー・ペイトンを支えた。
91年オフ、マジック・ジョンソンのバックアップとしてレイカーズへ、3つのドラフト2巡目指名権と交換で移籍。ところがその直後にマジックがHIV感染によって引退したため、急遽先発PGに抜擢され、ここでブレイクした。平均15.1点・7.2アシストをマークするなど一気にチームの中心となり、翌92~93シーズンには、レイカーズではマジック以来となる、得点・アシスト・スティールでチームをリードするマルチな活躍を見せた。
ただ、チームは再建期に入っており、93年にニック・ヴァンエクセルが加入すると次第に出場機会は減少。96年にレイカーズを離れた。96~97シーズン途中にロケッツと契約し、シーズンの残りをプレイ。その後、フランスとギリシャを渡り、現役を引退した。
ドラフト6巡目で指名されてNBAでプレイした最後の選手。3Pは少ないがシュートが上手く、ピーク時のFG成功率は5割前後であった。ジュリアス・アービング、チャールズ・バークリー、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、アキーム・オラジュワン、クライド・ドレクスラーとチームメイトだったのに一度も優勝することが出来なかった。引退後はオーストラリアでHCを務めたことがある。
グレッグ・カイト
ブリガムヤング大出身の白人C。83年のドラフト1巡目第21位でセルティックス入り。87~88シーズン途中に解雇されるまでバックアップCとして在籍し、出番は少なかったが、84年と86年には優勝を経験している。
87~88シーズンの残りはクリッパーズで主力級Cとして活躍。翌シーズン終盤には解雇されるが、直後に創設1年目のホーネッツと契約を結び、シーズン最後の12試合をスターターとしてプレイした。89~90シーズンをキングスで過ごしたのを挟み、90年にマジックと契約。移籍1年目はキャリア最高のシーズンとなり、全82試合でスターターを務めた。しかし、翌年にスタンリー・ロバーツ、更にその翌年にはシャックが加入し、カイトの出場機会は激減。94~95シーズンをニックスとペイサーズで過ごし、現役を引退した。
黙々と自分の仕事を頑張るロールプレイヤー。成績の割には息の長いキャリアを送った。シュートは苦手で通算のFT成功率は5割に届かない。
ミッチェル・ウィギンス
6フィート4インチのG。トゥルーエット-マッコネル・カレッジとクレムソン大を経て、最終的にはフロリダ州立大でプレイ。83年のドラフトでは1巡目第23位でペイサーズに指名され、オフの間にブルズへ移籍。全82試合に出場し、うち40試合で先発を務め、平均12.4点を稼いだ。
オフにはキャルドウェル・ジョーンズと交換でロケッツへ移籍。移籍2年目にはファイナルを経験した(セルティックスに敗退)。しかし、86~87シーズン途中にドラッグの問題でNBAから追放処分を喰らってしまう(チームメイトのルイス・ロイドと一緒)。89~90シーズンにロケッツで復帰を果たし、キャリアハイの平均15.5点をマークするが、このときのロケッツはもうファイナルに進めるようなチームではなかった。90~91シーズンはプレイせず、91~92シーズンをシクサーズで過ごしてNBAキャリアを終えた。
ギリシャ、フランス、フィリピンなどでもプレイした経験がある。82年の世界選手権では銀メダルを獲得した。息子はアンドリュー・ウィギンス。
ボビー・ハンセン
6フィート6インチのGでアイオワ大出身。83年にドラフト外でジャズ入り。デビュー当時はただの控えに過ぎず、出場機会も少なかったが、3年目には先発に定着。以降約4シーズンに渡って先発SGを務めた。90~91シーズンはキングスで過ごし、91~92シーズンはブルズでチャンピオン・リングを獲得。ファイナルの第6戦では最終Qが始まる時点でブルズが15点ビハインドだったが、ピッペンと4人のベンチ陣の活躍がきっかけとなって逆転勝利に成功。そのうちのひとりがハンセンで、3Pを決めたり、ジェローム・カーシーからボールを奪ったりと貢献した。
マジック・ジョンソンは「彼のタフさと鼻っ柱の強いディフェンスは、プレイオフのフィジカルさに対応する準備ができている」と評していた。引退後はラジオ解説者などを務めた模様。