華95~96シーズン②
トラブルではないけれど、このシーズンも珍しいことがありました。
【F】
10月に契約を結んだ際には、「過去2年は最悪だった」と再出発を誓っていたウェバーですが、15試合しか出られませんでした。
しかし、その一方で友人のハワードはチームの顔として活躍。
81試合すべてにスタートして、平均40分以上プレイ(リーグ4位)。平均22.1点・8.1リバウンド・4.4アシストをマークしました。
2年目にしてオールスター出場を果たし、オールNBA3rdチームにも選ばれています☆
オフの間にウェイトを増やしたウォレスは、65試合中51試合でスタートして平均10.1点・4.7リバウンド。
ムラがあってミスも多いけれどポテンシャルは高く、オール・ルーキー2ndチームとルーキー・オールスターに選出。後者では決勝点を決めています☆
この頃はまだテクニカル・ファウルで有名だった記憶はないんですが、既にカッとなりやすい性格は心配されていたとか。
ウォレスもまた負傷のため、3月末でシーズンを終えています。
3年ぶりのNBAとなったボブ・マッキャンは、年明けに一旦解雇されるもすぐに10日間契約。
そのままシーズン終了まで生き残り、62試合に出ました。
ウォレスが離脱したときには、ベテランのボブ・ソーントンと契約。
33歳のソーントンはこれが4年ぶり&最後のNBAです。
【C】
最後のサプライズが3年目のミュアサンで、なんとMIPを受賞☆
76試合すべてでスタートして平均14.5点・9.6リバウンド・2.3ブロック(リーグ8位)をマーク。FG成功率58.4%はリーグ1位でした☆
ファウルの多さは相変わらずでしたが、リバウンドが上達。
オールスターではないモノの、並のCでは抑えられないことも多く、ナッシュGMも「リーグでトップ10に入るCだ」と高く評価しました。
愛嬌があり、ファンからの人気もあります。
2年目のジム・マッキルベインは出場機会が増加。
得点もリバウンドも取れないんですが、リーグ10位の平均2.1ブロックをマーク。
ミュアサンが膝を負傷&欠場したラスト7試合では、なんと平均5.4ブロックを稼いでいます。
開幕直後にマイク・ペプロウスキー、12月にはオフに権利を獲得したエド・ストークスと契約。
ペプロウスキーは2試合だけ、ストークスはすぐ故障者リストに入り、すぐ解雇されました。
シーズンラストにはセドリック・ルイスと契約。
91年にメリーランド大を卒業後、ずっとCBAなどでプレイしていたC。ブレッツは地元のチームです。
【改名!】
シーズン開幕直後の11月4日、イスラエルのイツアク・ラビン大統領が銃殺されました。
ラビンとオーナーのエイブ・ポリンは友達。
ラビンは、大統領になる前に大使としてワシントンD.C.に住んでいたことがあり、ユダヤ人のコミュニティでイスラエルをサポートする活動をしていたポリンと仲良くなったようです。
事件の数日後、ポリンは「友人が弾丸で撃たれた。ブレッツという名前はプロスポーツのチーム名に相応しくない」として、チーム名を変更すると発表。
この当時、ワシントンD.C.はドラッグ犯罪と銃犯罪が多く、また殺人事件の件数も増加傾向。
ポリンと仲良しのアンセルドは改称に反対だったようですが、ポリンは「アンチ・バイオレンスのキャンペーン」だとして改称を決めました。
そして新チーム名の公募を行い、96年2月末に「ウィザーズ」と決定。
最終的に5つの候補が残り、その中で圧倒的な1位だったということです(発表したポリンは票数を公表せず)。
因みに他の候補はシードッグス、ドラゴンズ、エクスプレス、スタリオンズ。
マッキルベインは「シードッグス」を気に入っていたようです。
NBAのチームが、フランチャイズの移転と関係なくチーム名を変更するのは初めてのこと。
この頃、ダウンタウンにMCIセンターという新アリーナを建てるプランも動いており、97~98シーズンからワシントン・ウィザーズとして新アリーナで戦います☆