Quantcast
Channel: NBAヒストリー(ひばち)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 524

New Jersey Americans 67年オフ:創設

$
0
0

N67年オフ:創設

 

67年2月、ABAという新たなプロバスケットボール・リーグの発足に伴い、アーサー・J・ブラウンマーク・ビンシュタインがニューヨークを拠点とするチームのオーナーになりました。

 

ブラウンはABC Freight Forwardingという会社の社長。

サラブレッド・レース、AAUやセミプロのバスケット・チームなどのスポンサーも務めていました。

ABA上層部は、こうした経歴がニューヨークのチームを持つに相応しいと判断したようです。

(ビンシュタインはのちにピッツバーグ・コンドルズでGMとHCを務めます)

 

しかし、既にニューヨーク・ニックスがいる街を本拠地とするのは非常に困難なことでした。

ホーム・アリーナが見つからないんですね。

 

 ”ニューヨーク・フレイターズ”という名前で69th Regiment Armoryというアリーナをホームにしようとするんですが、ニックスがこれに待ったをかけます。

このアリーナはマンハッタンにあり、黎明期のニックスも時々ホーム・ゲームを行っていた場所。

開幕3ヶ月前になってアメリカンズはここを使えなくなってしまいました(そしてビンシュタインはオーナーを辞めます)。

 

ブラウンは代わりのアリーナを探すのに苦戦。

ニューヨークの幾つかのアリーナは既に予約が埋まっているか、「ニックスを怒らせたくない」という理由のどちらかから非協力的。

やっとこさ見つかったのはニュージャージー州ティーネックにあるTeaneck Armoryというアリーナでした。

 

これによって、開幕直前にチーム名がニュージャージー・アメリカンズとなります。

 

【初代HC】

 

抜擢されたのはマックス・ザスロフスキー。

 

40~50年代にNBAでプレイしており、現役時代はスコアラーでした。

引退後はブラウンの所有するAAUのチームをコーチしていましたが、プロでのHCはこれが初めてです。

 

【創設メンバー】

 

ドラフトで指名した選手は、開幕時にはひとりも残らないので割愛。

NBA経験組からはアート・ヘイマン、メル・ナウエル、ジョニー・オースティンという3人を獲得しました。

 

ナウエル&オースティンは、NBAでは特に実績がありませんが、ヘイマンは63~64シーズンにニックスでデビューし、オール・ルーキー1stチームに選出されています。

ただ、2年目に出場機会が激減し、昨シーズンはEPBLでプレイしていました。

 

【その他にも何人か】

 

トニー・ジャクソン

セントジョンズ大出身のSG。62年のNCAAの八百長スキャンダルに巻き込まれたひとりで、NBAでのプレイを禁じられており、61~63年はABLというリーグでプレイしていました。

 

ウォルト・サイモン

6フィート6インチのSF。ベネディクト・カレッジというマイナー校出身で、NBAのドラフトにはかからず、イースタン・リーグでプレイしていました。

同リーグではスコアラーとして活躍しており、MVPを受賞したこともあります。

 

ボビー・ロイド

6フィート2インチのPGで、ラトガース大史上に残る名選手。同大出身でABA/NBAでプレイしたのはこの人が初めてです。

カレッジ時代はスコアリングGで、FT成功率でNCAA1位になったこともあります。

ABAのドラフトではマスキーズから指名されており、ドラフト指名権と交換でネッツに来ました。

 

NBAドラフトでは、この年にピストンズから7巡目で指名されています。


【トラブル】

 

ABAとNBAの間で選手獲得競争が繰り広げられていくのは有名な話ですが、アメリカンズは早速その洗礼を受けました。

 

アメリカンズは、この当時、NBAのボルチモア・ブレッツに在籍していたリロイ・エリスというビッグマンと契約を結ぶんですが(FAだったのか契約期間中だったのか詳しい状況は不明)、これが揉めます。

 

最終的にアメリカンズは、「エリスをブレッツでプレイさせない」ために話を法廷に持ち込みますが、ニューヨーク州の最高裁判所はこの主張を棄却。

エリスはそのままブレッツに残ることになりました(プレシーズンにはアメリカンズでプレイした模様)。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 524

Latest Images

Trending Articles