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Channel: NBAヒストリー(ひばち)
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平成6年ドラフト組①

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最近、情報番組おおいですよね?!テレビ好きなんですけど、情報番組は見ないんですよね。行列のできるお店とか便利グッズとか、視聴率取れるんですかね。




マイケル・スミス


通称「アニマル」。プロビデンス大出身のPFで、ドラフト2巡目第35位でキングスに入団した。サウスポーで、鼻に付けたテーピングがトレードマーク。やや上背に欠けるが、数字に表れない体を張ったプレイが評価されたのか、2巡目指名のルーキーとしては珍しく全82試合で起用された。97~98シーズンのトレード期限にグリズリーズへ移籍。99年には更にウィザーズへトレードされた。NBAで過ごしたのは00~01シーズンが最後。

ウィザーズ時代、フロントに入ったジョーダンが「スミスを欲しいというオファーは多い」と明かしていたことがあるが、20代後半にしてNBAでの居場所を失った。FT成功率が50%前後など、オフェンスは苦手。


モンティ・ウィリアムス


ノートルダム大出身のSF。心臓に先天的な病を患っていたようだが、ドラフト1巡目第24位でニックスに入団した。層の厚いベテラン・チームに入ったためか出場機会は限定的で、2年目の途中にはスパーズへ移籍。翌96~97シーズンには、主力に怪我人が続出した恩恵を受けてキャリア最高の成績を残している。98~99シーズンはナゲッツで1試合しかプレイできなかったが、99~02年に在籍したマジックでは貴重なバックアップとして渋く貢献した。

02~03シーズンにシクサーズでプレイしたのを最後に現役を引退。FTの精度が今ひとつなのも含めてシュートエリアが狭いが、ペイントエリア内では意外な巧さを見せる。引退後はコーチ業を務めており、ブレイザーズのACがそのスタートであった。因みに、コーチ就任のために力を貸してくれたのは、現役時代に起用法を批判したグレッグ・ポポビッチだという。


チャーリー・ウォード


フロリダ州立大出身のPG。カレッジ時代はフットボールもプレイしており、93年にはアフリカ系アメリカ人としては史上2人目となるハインズマン・トロフィーを受賞。また、カレッジで野球をやっていなかったにもかかわらず、93年にブリューワーズ、94年にはヤンキースからも指名を受けている。卒業後、NFLのドラフト1巡目で指名されないことがわかると、ウォードはNBAへ行くことを希望。そして、1巡目第26位でニックスから指名を受けた(意思を表明したため、NFLのドラフトには掛からなかった)。

プロ入り後は、「司令塔としては不十分」といった批判も受けつつ、次第にスターターに定着。ニックスにいる間は頻繁にトレードの噂が流れたり、PGのグレードアップが必要だと言われたり、スターティングPGとしては今ひとつな扱いを受けていたが、アラン・ヒューストンやラトレル・スプリーウェルとの相性は悪くなかった。03~04シーズン中にサンズへトレードされ、直後に解雇されたのを挟み、スパーズへ移籍。翌04~05シーズンをロケッツで過ごし、現役を引退した。

得点力、ゲームメイク力ともに平均的だが3Pはまずまずで、98年には3Pコンテストに出場している。ディフェンスは悪くない。ニックス時代はヒューストンと仲が良かったとか。97年のプレイオフ、カンファレンス・セミファイナルでヒートのPJ・ブラウンと起こした乱闘騒ぎはプレイオフ史に残る大乱闘であった。


エリック・モントロス


ノースカロライナ大出身の7フッター。93年に同大がミシガン大を破ってNCAAチャンピオンになったときのコアメンバーである。ドラフトでは1巡目第9位でセルティックスへ入団。ルーキーイヤーはまずまずの成績を残し、ルーキー・オールスターとオール・ルーキー2ndチームに選出された。しかし、そのパフォーマンスはここからキャリアを経るごとに下降。ピストンズに在籍した99~00シーズンには平均0.8点をマークするなど惨憺たる有様だった。

01~02シーズン終了後、足の故障で1シーズン休むが復帰の目処が立たず、03年オフに現役を引退。3年目以降見るべき成績、活躍は残していないが、通算で出場した465試合中263試合でスターターとして起用されており、このことは「リーグにいかにCが不足しているか」を表しているかもしれない。身長だけでなく幅もあり、Cとしては恵まれた体格をしているが、動きが遅く、技術も乏しい。FTが苦手で、FTが苦手な選手を「モントロシア」と揶揄することがあった。


トニー・デュマス


1巡目第19位でマブス入りしたSG。プロ2年目の95~96シーズンに平均20分に満たない出場時間で平均11,6点をマークし、48分換算ではリーグの得点王となった。しかし、3年目はチームの層が厚くなったこともあってシーズン序盤にサンズへトレードされ、すぐに解雇。97~98シーズンに少しだけキャブスでプレイしたのを最後に二度とNBAではプレイしなかった。ミズーリ・カンザスシティ大出身で、同大からNBAのドラフトにかかった選手は、今のところデュマスだけである。

身体能力が高く、得点力もあるが、FTやジャンプシュートの精度に難がある。キャリアハイは39点。


アントニオ・ラング


91・92年とデューク大が2連覇したときのメンバー(ファイナル4には3度進出)。ドラフト2巡目第29位でサンズに入団するが、1年目は膝の故障もあって満足にプレイできず、オフにはキャブスへトレード。ここでは2シーズン過ごすが見せ場はなかった。翌シーズン以降、ヒート、キャブス、ラプターズ、シクサーズにも少しずつ在籍しているが、いずれも短命に終わっている。CBAやフィリピンでもプレイ経験があり、01年からはJBLの三菱でプレイしていた。

足の故障によって06年に現役を引退。その後はそのまま三菱のACを務めていたとか。


トム・ホーバス


6フィート8インチ・205ポンドの白人F。ペンシルバニア州立大の出身で、94~95シーズンにドラフト外でホークス入り。しかし、2試合、計4分だけの出場で解雇されてしまった。ヒートとのトレードで、ケビン・ウィリスを出してスティーブ・スミス、グラント・ロングが加入したばかりだったので、ロスター調整の意味合いがあったのかもしれない、その後、日本でプレイしていたこともあってか、NBA出身の選手という肩書きで、TVのNBA特集などでゲストとして呼ばれることもあった。


ジム・マッキルベイン


7フィート1インチのショットブロッカー。高校時代は得点・リバウンド・ブロックであわやトリプルダブルというアベレージを残しており、マーケット大では同大史上1位の通算ブロック数を残している。ドラフトでは2巡目第32位でブレッツに入団。2シーズン在籍したここではジョージ・ミュアサンのバックアップだったが、限られた出場機会の中でもブロックショットはそこそこ目立っていた。そして、96年オフにFAとなってソニックスと契約を結ぶ。それは7年間3360万ドルという破格のものであった。

当時、ファイナルでブルズに敗れたばかりであったソニックスは、弱点のCを補強するためにマッキルベイン獲得に動いたのだが、この人事にエースのショーン・ケンプが激怒。ブロックショットが売りとはいえ、平均2.3点・2.9リバウンドの選手が自分よりも大きな契約を結んだことに怒った(昇給を頼んだが、チームがそれを断ってマッキルベインを優先したとか)。この後、ケンプはトレーニング・キャンプを欠席するなど抗議の態度をとっている。

そして肝心のマッキルベインは強豪ソニックスのスターティングCとなったが、プレイはブレッツ時代とほぼ変わらず、プレイオフではスターターから外される始末。オフには不満を持ち続けたケンプがチームを去った。ソニックスでの2年目は(一応)キャリア最高の成績を残したが、周囲を納得させるプレイにはほど遠く、オフにはネッツへトレード。移籍当初はステファン・マーベリーに「俺と組めばヤツはオフェンスだって貢献できる」など、まだ期待もあったようだが、それに応えることはなかった。

3度にわたる故障もあってかキャリアは悪化し、01年に契約をバイアウトされて現役を引退。個人的にはソニックスが崩壊するきっかけをつくった選手だと思う。ただ、ブロックだけならリーグ上位に食い込む実力があり、契約が適切であって、2巡目指名選手であることを考慮すれば悪い選手ではなかった。スキーやドラムが趣味だとか。


ブルックス・トンプソン


サウスポーの白人PG。カレッジ時代はテキサスA&Mとオクラホマ州立大で過ごした。ドラフト1巡目第27位でマジックに入団し、2年過ごした後、ジャズへ移籍。ここではすぐに解雇されてしまうが、直後に拾われたナゲッツでは一定のプレイングタイムを確保し、多少の活躍を見せた。シュートは上手く、96年11月のサンズ戦では26点を稼いだこともある。97~98シーズンをサンズ、ニックスで過ごしたのがNBAでの見納め。引退後はカレッジなどでコーチをしているよう。


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