Quantcast
Channel: NBAヒストリー(ひばち)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 524

昭和48年ドラフト組①

$
0
0

ライダーマンもまたよいのです。

 

 

ダグ・コリンズ

 

イリノイ州立大出身。72年のミュンヘン・オリンピックで、アメリカがオリンピックで初黒星を喫したときのメンバーである。このときは試合最終盤にコリンズのFTで50対49としたアメリカだったが、レフェリーの判断で時間が戻され、ソビエトがチャンスを獲得。最後にレイアップを決められ、アメリカは逆転負けとなった。アメリカは判定の微妙さに抗議し、銀メダルの受賞と表彰台に立つことを拒否している。

その後、ABAのナゲッツにドラフトされ、73年の補充ドラフト?ではネッツに指名されるがABAではプレイせず、73年のドラフト1巡目第1位で指名されたシクサーズに入団した。ルーキーイヤーから毎年活躍度を増し、76~77シーズンにはファイナル進出に貢献。ジュリアス・アービングと共にチームを牽引したが、ファイナルでブレイザーズに敗れた。78~79シーズンは故障に苦しみ、これがきっかけとなったか、80~81シーズンを最後に現役引退。最後のシーズンは12試合しかプレイしなかった。コリンズはシュートエリアが広く、79年から導入された3Pを恋しがったとか。

引退後は80年代中盤にブルズのHCに就任。95~97年にはピストンズでHCを務めた。それぞれ、若き日のマイケル・ジョーダン、グラント・ヒルを指導している。解説者に転向したのを挟み、01年にはウィザーズのHCとなり、再びジョーダンとタッグを組んだ(03年に解任)。2010年にはシクサーズのHCとなり、3シーズン指揮を執った。若手中心で成長を期待されるチームを率いることが多い。

 

アーニー・ディグレゴリオ

 

ABAのケンタッキー・カーネルズからドラフトされたものの、NBAでのプレイを希望したディグレゴリオは、73年のドラフト1巡目第3位でブレーブス(現クリッパーズ)に入団。FT成功率と平均アシストでリーグ首位となり、新人王を獲得した。また、ルーキーとしては最多となる1試合25アシストも記録している(のちにネイト・マクミランも記録)。

しかしこれがピークで、77年には再びFT成功率でリーグ首位に立つが(当時のリーグ記録である94.5%をマーク)、77~78シーズンの半ばにはレイカーズに放出され、あっけなく解雇。セルティックスと契約するが、そのシーズン以降2度とプレイすることはなかった(正式に引退を発表したのは81年)。

 

コールドウェル・ジョーンズ

 

73年のドラフト1巡目第14位でシクサーズに指名されたC。アルバニー・ステイト大(現ジョージア大)出身で、3シーズンをABA、14シーズンをNBAでプレイした。シクサーズ在籍時が恐らくキャリアのピーク。74年にブロック王に輝き、75年にはオールスターにも出場。1試合12ブロックというABAの記録も持っている。

兄弟のチャールズ、ウィル、メイジャーは皆同じ大学の出身で、NBAでもプレイしている。

 

デリック・ディッキー

 

6フィート7インチのFでシンシナティ大出身。73年のドラフト2巡目第11位でウォリアーズに入団し、まず4シーズン半を過ごした。77~78シーズン半ばにはブルズへトレードで移籍し、そのシーズンでキャリアを終えた。75年にウォリアーズが優勝したときのメンバーでもあり、個人スタッツの割には貢献していた模様。

引退後は解説者として活躍。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 524

Trending Articles