子供の頃、この女の人はサビでなんて歌ってるんだろう?と気になったものです。
ビル・カートライト
7フィート1インチのCでサンフランシスコ大出身。79年のドラフト1巡目第3位でニックスに入団した。ルーキーシーズンの活躍は目覚ましく、オールスターにも出場(キャリア唯一)。翌シーズン以降も悪くはなかったが、84~85シーズンを棒に振った故障とパトリック・ユーイングの加入でバックアップへ。ユーイングとツインタワーを組んだ年もあったが、勝ち星には繋がらなかった。
そして88年のオフ、チャールズ・オークリーと交換でブルズへ移籍。オークリーはマイケル・ジョーダンの親友であり、また用心棒のような存在でもあり、ジョーダンは「なんで24歳を出して34歳を取るんだ?」とフロントに怒ったという(実際は31歳)。加入後も、ジョーダンは、カートライトが取れないようなパスをワザと出したり、独特なシュートフォームをからかったりするなど関係性は悪かった。ジョーダンがチームメイトに「ゲーム終盤になったらヤツ(カートライト)にボールを回すな」と指示したことに対して今度はカートライトが怒り、これがきっかけで普通の関係になったようだが、それでもフィル・ジャクソンは、練習の際に2人が別のチームにならないように気を遣ったという。
ジョーダンとの衝突はあったが、カートライトの加入で(ジョン・パクソン、ジョーダン、ピッペン、ホーレス・グラント、カートライト)というバランスの取れたラインナップが完成。年々戦力をアップさせ、91~93年には3連覇を達成した。94年オフにはソニックスに移籍し、翌オフに現役を引退。引退後はコーチをしており、古巣ブルズのHCを務めたこともある。
ブルズ時代、スタッツは地味だったが、カートライトの存在は大きく、特にゴール下のディフェンスは効果的であった。のちにジョーダンも、自身のカートライトに対する評価が間違っていたと認めている。故障が多く、「メディカル・ビル(治療費)」と呼ばれたこともあったとか。
因みにブルズ在籍時のペイサーズ戦で相手選手から喉に肘を喰らい、その結果としてやや掠れた声になってしまったというが、誰にやられたかは明かしていない。
ヴィニー・ジョンソン
89・90年とピストンズ亜が2連覇したときの6マン。6フィート2インチのコンボガードで、79年のドラフト1巡目第7位でソニックス入り。2年目にローテーション入りして成績を大きくのばすが、翌81~82シーズンにガス・ウィリアムスの加入で役割を奪われ、開幕直後にグレッグ・ケルサーと交換でピストンズへ放出された。
ここでは、ジョン・ロングのバックアップに回った83~84シーズンから本領を発揮。20分強のプレイングタイムで確実に得点を稼ぎ、そのすぐにチームを勢いづけるオフェンスと、効果的なディフェンスから、当時セルティックスにいたダニー・エインジに「マイクロウェーブ」とニックネームを付けられた。その後、90~91シーズンまでアイザイア・トーマス、ジョー・デュマースのバックアップとして活躍。もちろん、89・90年の連覇にも貢献している。90年のファイナル第5戦では、最後のプレイで14フィートのジャンパーを決め、ピストンズに勝利をもたらした。91~92シーズンをスパーズで過ごして現役を引退。
得点力は高いがシュートエリアは広くなく、3Pは少ない。アール・モンローに憧れて着用していた背番号15は、06年にピストンズの永久欠番となっている。
ジム・パクソン
79年から90年まで11シーズンプレイしたスウィングマン。ブレイザーズとセルティックスでそのキャリアを過ごした。デイトン大出身で、79年のドラフト1巡目第12位でブレイザーズ入り。長きに渡って先発を務めたが、クライド・ドレクスラー、キキ・バンダウェイ、ジェローム・カーシーらの加入で出場機会が減り、87~88シーズンの途中にセルティックスへ移籍。そのままバックアップとしてプレイし、90年に現役を引退した。
引退後は99~05年までキャブスのGMを務めたのが有名か。その後はブルズのコンサルタントとなった。ジョン・パクソンの兄。
スライ・ウィリアムス
本名はシルベスター・ウィリアムス。6フィート7インチのスウィングマンでロード・アイランド大出身。79年のドラフト1巡目第21位でニックス入り。2年目に控えの得点源として台頭し、マイケル・レイ・リチャードソン、キャンピー・ラッセルらのバックアップとして平均2桁得点を稼いだ。しかし、HCがレッド・ホルツマンからヒュービー・ブラウンに替わり、主力にも入れ替わりがあった82~83シーズンになると、ウィリアムスの役割は激減。シーズンが終わるとホークスへ移籍した。
ホークスでは2シーズン過ごすが、計45試合しか出場できず、85~86シーズンに6試合だけセルティックスでプレイしたのを最後に現役を引退した。ニックス時代は精度の高い6マンだったが、FTはイマイチ。NBAでは通算7シーズンのキャリアであった。
引退後は02年に誘拐の罪で逮捕されている。「スライ」の他に「ザ・ガベッジマン」というニックネームもある。
アール・キュアトン
「トワール(くるくる回る)」の愛称で知られたF/C。デトロイト大出身で、79年のドラフト3巡目第58位でシクサーズに指名され、80~81シーズンにデビュー。83~86シーズンをピストンズで過ごし、86年オフにシドニー・グリーン&ドラフト指名権と交換でブルズへ移籍。当時のブルズは層が薄く、先発として起用されることも多かったが結果は残せず、シーズン半ばには89年のドラフト指名権と交換でクリッパーズへ放出された。
88年にはエクスパンション・ドラフトでホーネッツに加入。翌年はイタリアへ渡り、90~91シーズンはホーネッツに復帰するが出場は9試合のみ。以降は、93~94シーズンにロケッツで2試合、96~97シーズンにラプターズで9試合のみプレイして現役を引退した。
NBAでフルシーズン過ごしたのは88~89シーズンが最後だが、79年のドラフト組の中では長いキャリアを送り、同年ドラフト組の中で一番最後にNBAでプレイした選手でもある。戦力にはなっていなかったが、シクサーズとロケッツでチャンピオン・リングを獲得している。
引退後はABAでコーチを務め、チームを優勝に導いたとか。ピストンズの解説者も務めていた。
ジェリー・シースティング
地元インディアナ州のパデュー大出身で、79年のドラフト4巡目第16位でウォリアーズに指名されたG。ウォリアーズではプレイしなかったが、10年ほどのキャリアで5つのチームを渡り歩き、90年にバックスで1試合だけプレイして現役を引退した。
個人スタッツで見るとペイサーズに属していた83~84シーズンがベストだが、キャリアのハイライトは86年にセルティックスで優勝したときであろう。86年のファイナル、ゲーム5ではラルフ・サンプソンと乱闘騒ぎを起こしている。
引退後はウルブズのACやマーケット大のACを務めている。