○46年オフ②
ニックス編はかなり前に断片的に書いていたんですが、なんかいまいちだなぁ、と思って放置していました。
そもそも黎明期のNBAはやりにくいんですが、とりあえず少しずつアップしていこうかなと。
【チーム名の由来】
19世紀前半、ワシントン・アービングという作家が『A History of New-York from the Beginning of the World to the End of the Dutch Dynasty, by Dietrich Knickerbocker』という著書を出版。
ここでアービングがペンネームとして用いたのが”ニッカーボッカー”。
この本の影響で、この言葉が”のちにニューヨークとなる土地に最初に入植したオランダ系の移民”を指す言葉となります。
膝下くらいまでのズボンであるニッカーボッカーは、その本の挿絵の中で移民の人たちが履いていたんだとか。
【初代HC】
HCはニール・コハラン。
24~42年までマンハッタン・カレッジでHCを務めていた人物です。
元々、アイリッシュはセント・ジョンズ大のジョー・ラプチックというHCにオファー。
アイリッシュは、”リーグ一高級取りのHCにするよ”という約束でラプチックの同意を得ますが、”最後にもう一度優勝を狙いたい”という理由でもう1年大学に残ることを希望(同大は43・44年とNITトーナメントを連覇)。
アイリッシュはそれを了承し、暫定としてコハランを雇ったのでした。
因みに、ラプチックのラストシーズンとなるセント・ジョンズ大は優勝できません。
【選手集め】
アイリッシュは人事にも関わっていましたが、この人はあくまでプロモーターであり、バスケのスキル的なことは詳しくありません。
そのため、実力よりも集客を意識した人事となり、ユダヤ系の選手や地元に所縁のある選手(ニューヨークのカレッジ・バスケット人気に肖って)を集めます。
開幕を迎えるにあたってユダヤ系の選手は7人、ニューヨークの大学出身の選手は8人もいました。
全員は大変なので、何人かご紹介。
ハンク・ローゼンスタインはCCNY(シティ・カレッジ・オブ・ニューヨーク)出身。
卒業後はEastern Jewish Center Leagueでバスケを続け、43年にはMVPを受賞しています。
ラルフ・カプロヴィッツはニューヨーク大出身のGで、中心選手として活躍。
第二次世界大戦中は陸軍にいましたが、戦後は大学に戻って学位を取り、更にABL(アメリカン・バスケットボール・リーグ)のフィラデルフィア・スファズ(SphasはSouth Philadelphia Hebrew Associationの略)に加入。
45~46シーズンをプレイし、20試合で平均10.6点をあげています。
40年代前半のニューヨークでは、注目された選手のひとりだったとか。
アイリッシュはカレッジ時代のカプロヴィッツを見ており、当時、「私が見た中で最高の選手」と絶賛。
今回はそのアイリッシュが直接電報を送り、1年6500ドルの契約となりました。
ボブ・マレンズはフォーダム大出身のG。
高校時代は、強力なスコアラーだったようで、カレッジでは永久欠番になっています。
ナット・ミリツォックは、7人いたユダヤ系選手のひとり。G。
CCNY→ホフストラ大と移り、第二次世界大戦が始まると海軍に入り、更にコーネル大に編入しました。
ジェイク・ウェバーは6フィート6インチのC(この当時としては長身)。
高校時代はインディアナ州のスターで、パデュー大へ進学。
高校時代は得点を稼いでいましたが、カレッジではディフェンスとリバウンドで目立っていたようです。
41~45年は第二次世界大戦のためプレイできず、終戦間もない45年、NBLのインディアナポリス・カウツキーズでプロキャリアをスタート。
ただ、5試合しかプレイしていません(当時のNBLは1シーズン30試合程度)。
このオフ、カウツキーズはBAA誕生にあたって加盟を希望しますが、BAAはチーム名に企業の名前が入っていることを認めなかったため、加盟申請は却下(食料品店のオーナーであるフランク・カウツキーが、このチームのオーナー&HC&GM)。
NBLに残ることになり、ウェバーはニックスに移ってきました。
~~~~~~~~~~~~
リーグ発足の時点では、ニューヨークのバスケットはカレッジ・バスケットボールがメイン。
シーズン開幕に向けて大学生たちとの練習試合などを行い、それらが成功したことで、少しずつ周囲のリスペクトを得ていったようです。
アイリッシュのお陰か、資金的な余裕はあったそう。
開幕前に行われた3週間のトレーニング・キャンプは、うち2週間がキャッツキル山地(ニューヨーク州内にあるリゾート地)にあるカントリークラブで行われました。
25人の選手が集まり、ニューヨーク出身の選手同士はすぐに馴染んでいったとか。
ニックスの初代キャプテンとなるシドニー・ハーツバーグは、ニックスでプレイすることについて、のちにこう語っています。
「振り返ると、自分が最初のトレーニング・キャンプに参加したこと、ニックスと契約を結んだことには今でも感激している。ニューヨークでプレイしたかったんだ。これは新しいメジャーリーグだった。まだ24秒ショットクロックもなかったよ」