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Channel: NBAヒストリー(ひばち)
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平成8年ドラフト組②

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このアニメ、当時小学生の妹が好きでみてたんですが、親がやんわり反対してたんです。

親が反対してた理由はわからなくもないんですが、それを子供に納得させるのは難しいだろうな、と思うようになりました。年ですねw




ケビン・サルバドーリ


ノースカロライナ大出身の7フッター。93年に同大がNCAAチャンピオンになったときのメンバーだが、目立った成績・活躍は残していない。カレッジ4年間、エリック・モントロスとチームメイトだった不運もあったかもしれない。94年のドラフトにはかからなかったが、96年にキングスと契約。2シーズン過ごした。95年にはペイサーズとも一度契約しているが、開幕まで残れなかった。父のアル・サルバドーリは67年のドラフト4巡目でブレッツに指名されている(ABAのオークランド・オークスで1シーズンプレイした)。


ベン・ディビス


名門オークヒル・アカデミー高校出身のPF。カレッジはカンザス大→フロリダ大(プレイせず)→ハッチンソン・コミュニティ・カレッジ→アリゾナ大と渡り歩いた。94年にはジュニア・カレッジのチャンピオンになっている(ハッチンソン時代)。ドラフト2巡目第43位でサンズに入るが、途中で解雇。97~99シーズンをニックス、99~00シーズンを再びサンズで一応過ごしている。ヒートやロケッツと契約したこともある。最後にプレイしたのは06年のウルグアイであった。


ジェローム・ウィリアムス


6フィート9インチ・206ポンドのPF。ドラフト1巡目第26位でジョージタウン大からピストンズに入団した。カレッジ時代はあまり注目されなかったが、プレドラフト・キャンプなどで評価を高めたようである。1年目はほぼ戦力外だったが、2年目にはインサイドの人材難も手伝って出場機会が増加。主にディフェンスで貢献し、主要なベンチ・プレイヤーに成長した。00~01シーズン半ばにはラプターズへトレード。このとき、ウィリアムスはデトロイトからトロントにすぐ車を走らせたそうである。

ラプターズではスターターとして起用される機会も増え、賢明にプレイするスタイルでファンのお気に入りとなった。02~03シーズンにはキャリアハイの平均9.7点をマークしている。03~04シーズン序盤にはブルズへトレードされ、ここでもロールプレイヤーとして良い働きを見せたが、オフにニックスへトレードされると出場機会が減少。

シーズン終了後の05年夏、アラン・ヒューストンの例外条項を用いて解雇され、そこから2日も経たないうちに現役引退を表明した。ハードワークとハッスルプレイが売り。PFとしてはやや小柄だが筋肉質でバランスのとれた体をしており、フィジカルなプレイも厭わない。機動力もあり、ディフェンスでは両Fに対応できる。シュートに難があるが、キャリアを経るごとに得点する術を身につけていった。トロントでの人気が根強く、移籍後も地元ファンに大歓迎されていた。

ニックネームはチームメイトだったリック・マホーンに名付けられた「ジャンクヤード・ドッグ」。現役時代はそれに肖ってか、ロッカールームに犬のぬいぐるみを置いていた。ハイソックスがトレードマーク。


マット・マロニー


アウトサイド・シュートが生命線のPG。ペンシルバニア大出身。95年のドラフトにかからず、ウォリアーズと契約を結ぶも開幕前に解雇、カナダでプロデビューを果たした。そして翌96年のオフにロケッツと契約。ロケッツはチャールズ・バークリー獲得のために多くの選手を手放したために層が薄くなっており、マロニーは生き残ったどころか、スターティングPGに抜擢された。ゲームメイクが今ひとつでベテランに咎められる姿も多くあったが、3Pと賢明なプレイで貢献。ルーキー・オールスターにも出場した。

2年目も同様のプレイを見せていたが、3年目は故障のために35試合を欠場(短縮シーズンのために全50試合)。その間にルーキーたちにポジションを奪われ、翌シーズンは低迷するブルズに移籍した。00~01シーズンと02~03シーズンにはホークスでもプレイしたが、最初の2シーズンのような輝きを見せることはなかった。PGというよりはシューター。97年のプレイオフではマロニーの活躍で勝った試合もあるが、一方で気が弱く、シュートのムラが激しいのも難点。


マーク・ブラッドキー


6フィート10インチのオーストラリア人C。相性は「Hoges」。キャリアのスタートはもちろんNBLで、ソウル・バルセロナ・アトランタ・シドニーとオリンピックは4大会に出場。世界選手権でも2度プレイしている。NBAでは96~97シーズンに36試合だけシクサーズでプレイしている(ドラフトはされていない)。07年に現役を引退。オーストラリア出身の選手で、NBAで1シーズンしかもたなかったのはブラッドキーだけである。NBAでプレイするには技術・身体能力ともに中途半端だった印象。


デビン・グレイ


6フィート7インチ・240ポンドとずんぐりした体型のSF。サウスポー。クレムソン大の出身で、96~97シーズンに短い期間ながらキングスとスパーズでプレイしたのがNBAデビューとなった。99~00シーズン途中には10日間契約でロケッツに加入。主力に怪我人がいた関係ですぐにスターターとして起用されるのだが(BSでも放送されたウルブズ戦)、試合前のスターティング・ラインナップ紹介時の顔写真が間に合わなかったことがある。


トニー・デルク


6フィート1インチのSG。96年にケンタッキー大がNCAAチャンピオンになったときの主力で、そのときはトーナメントのMOPに選ばれた。ドラフトでは1巡目第16位でホーネッツに入団。1年目はシューター揃いのチームであまり起用されず、翌シーズンの開幕直後にウォリアーズへトレード。ここでは出場機会が増え、2シーズンを過ごすが、シュートの精度が上がらないなど苦戦は続いた。キャリアが動いたのはキングスでプレイした99~00シーズン。

シーズン序盤は出番すらないこともしばしばだったが、次第に出場機会を増やしてローテーション入り。ダリック・マーティンのプレイングタイムを奪った。そして、そのオフサンズに移籍するとベンチ・スコアラーとして大活躍。01年年明けのキングス戦では、53点を稼ぐパフォーマンスを見せ、周囲を驚かせた。翌シーズン半ばにはロドニー・ロジャースとともにセルティックスへトレード。2人はロスターを厚くし、プレイオフでも善戦。イーストを制したネッツを(負けはしたが)苦しめた。

しかし、オフになってお金の問題でロジャースが、トレードでケニー・アンダーソンがチームを去るとセルティックスは停滞。デルクはPGを任されるがフィットせず、途中でJR・ブレマーにポジションを奪われた。03~04シーズンはマブスで過ごすが層の厚いマブスでは出番が限られており、04年にはホークスへ移籍。チームはドアマットに沈んだが、ひさしぶりに2桁の得点アベレージを残した。05~06シーズンをホークス、ピストンズでプレイしたのがNBAでの最後。

もう1年だけギリシャでキャリアを続け、07年秋に現役を引退した。カレッジ時代はいい3Pシューターだったが、NBAではその精度に苦しんだ。一方、ミドルレンジからのシュートは高確率で、短時間での2桁得点が可能。身体能力もそれなりに高い。


レジー・ギアリー


リュート・オールソン指揮下のアリゾナ大出身。ギアリー在籍時の同大は強く、94年にはファイナル4にも進んでいる。通算スティール数は同大史上1位であった(卒業時)。ドラフトでは2巡目第56位でキャブスに入団。層が薄いチームだったにもかかわらず、あまり出番を得られなかった。翌シーズンはスパーズに移籍するが、ここでもローテーション入り出来ず、それ以降はCBAやヨーロッパなどでプレイしている。チームプレイヤーでディフェンスも悪くないが、シュートに難がある。


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