このドラマ好きでみてたんですけど、もしかしたら今はできないかもですね。
シェー・シールズ
タルサ大出身のシューター。同大では永久欠番になっている。ドラフト外でレイカーズと契約し、97~98シーズンに4試合だけプレイした。翌シーズン以降はABA、NBDL、フランスなどでキャリアを続けた。シールズを有名にしたのが96年のアトランタ・オリンピック直前に行われたドリーム・チームⅢと学生選抜の練習試合。この試合、シールズのアウトサイド・シュートが大当たりで、前半は学生選抜が2桁リードを奪う展開となった。
このとき、学生選抜にはティム・ダンカン、ポール・ピアースらがいたが、シールズは彼らを上回るインパクトを残した。
エド・グレイ
カリフォルニア大バークレー校出身のSG。当時はシャリーフ・アブドゥル-ラヒムとチームメイトであった。ドラフト1巡目第22位でホークスに入団。カレッジ時代はハイスコアリングGとして知られ、起爆剤的な役割を期待されたが、30試合に出たのみでFG成功率は40%を切るなど期待には応えられなかった。そして2年目は更に悪化。99年のオフにはブレイザーズ、ロケッツと2度トレードされた末に解雇。二度とNBAでプレイすることはなかった。
爆発力のあるスコアラーだが、NBAのSGとしては小柄(6フィート3インチ)なのが響いたかもしれない。
ラスティ・ラルー
ウェイクフォレスト大出身のPG。バスケットではPG、野球ではピッチャー、フットボールではクォーターバックをやっていたというマルチなアスリートである。高校時代から三足のわらじを履き、そのすべてでノースカロライナ州のオール・ステイトに選出。カレッジではバスケットとフットボールをプレイすることを望んだが、1シーズンだけ野球もプレイしており、同シーズンに3つのスポーツをプレイしたACC史上2人目の選手となった。
フットボールではクォーターバックとして活躍し、カレッジ記録も樹立。一方、バスケットでは同大が4年連続でNCAAトーナメントに進むのに貢献した。96年のドラフトにはかからなかったが、97~98シーズンの開幕直後にスティーブ・カーが故障したブルズと契約。シーズン通して14試合しか出なかったが、契約直後にはクレバーなプレイとアウトサイド・シュートで、ドラフト外ルーキーとは思えない働きを見せた。「彼は頭がいい。シュートも上手いしね」とはフィル・ジャクソンのコメントである。
しかし、ブルズ王朝が崩壊したあとも特に伸びず、チームが本格的な再建期に入った99~00シーズン途中に解雇。翌シーズンはCSKAモスクワで過ごした。01~02シーズンはジャズに加入してそこそこ起用されるが、1シーズンしかもたず、翌シーズンはイタリアへ。03~04シーズンの終盤にもウォリアーズで4試合だけ出場した(開幕前にセルティックスと契約するが解雇されている)。引退後はバスケットとフットボールの両方で、コーチ業を務めている。
ロドリック・ローズ
ディフェンシブなスウィングマン。1巡目第24位でロケッツに入団し、ベテラン揃いのチームでなんとか58試合に出場。シーズン中盤にはまずまず貢献していた。翌シーズンの途中にはディフェンスを強化したかったグリズリーズにトレード。しかし、たいしたインパクトは残せず、99~00シーズンはシクサーズで開幕を迎えるが出番のないまま解雇され、シーズン終盤にマブスと契約。1試合だけプレイした。翌シーズン以降は各国のプロリーグを転々としている。
シュートエリアが狭く、FTにも難あり。もともとケンタッキー大でプレイしていたが、3年次終了後にHCのリック・ピティーノから赤シャツ要員(1年休む)となることを求められて、サザン・カリフォルニア大に移った。
マイケル・スチュアート
フランス出身のC(6フィート10インチ)。愛称の「ヨギ」は、『ヨギ・ベアー』という漫画に因んでいるという。サクラメントの高校を経てカリフォルニア大に進学。得点もリバウンドも特筆すべきものではなかったが、ブロックだけはトップクラスで、その数は同大史上1位である。NBAのドラフトにはかからなかったが、オフの間に地元キングスと契約を結び、開幕ロスター入り。余談だが、子供の頃にキングスのボールボーイをしていたことがあるそう。
ルーキーイヤーはディフェンスで予想外の活躍を見せ、シーズン半ばにはなんとスターターに昇格。オールデン・ポリニスが精彩を欠いていたとはいえ、ドラフト外ルーキーとしては見事な働きで、平均2.4ブロックをマークしている。これを評価され、98~99シーズンに先だってラプターズと6年間2400万ドルの長期契約を締結。しかし、ブロック以外でまったく存在を見せられないこと、インサイドの層が厚かったことなどからすぐに不良債権化してしまい、そのままパッとしない4シーズンを過ごした。
02年にはキャブスにトレードされ、翌03~04シーズン途中にはセルティックスへトレード。04~05シーズンを最後に現役を引退した。
ブッバ・ウェルズ
「ブッバ」はもちろん愛称で、本名はチャールズ・リチャード・ウェルズ。2巡目第35位でオースティンペイ大からマブス入りするが、滅多に起用されず、1年目終了後にサンズ、ブルズとトレードされた末に解雇されてしまった。ウェルズのハイライトは97年12月29日のブルズ戦。この試合、HCのドン・ネルソンはハック・ア・ロドマンを仕掛けるのだが、そのファウル要員に選ばれたのがウェルズだった。ウェルズはHCの指示を忠実に遂行し、僅か3分でファウルアウト。NBA史上最速で退場した選手となった。
因みにこの試合ではロドマンが12本中9本のFTを決めており、作戦は失敗に終わっている。ウェルズの前の記録保持者はナショナルズにいたディック・ファーリーで、56年3月に5分で退場している。
キース・ブース
メリーランド大出身のスウィングマン。同大は90年代前半にボブ・ウェイドというHCがNCAAの規律違反を犯したことで評判を落とし、大学進学を考える多くの高校のスーパースターに避けられていた。その壁を破ったひとりがブースである。ドラフトでは1巡目第28位で王者ブルズに入団。3連覇を目指すブルズではさすがに出番がなく、僅か6試合の出場に終わった。それでもジョーダンはブースの将来性を評価していたようだが、王朝崩壊後も開花せず、2シーズンでNBAのキャリアを終えた。
その後は04年に母校で、恩師ウィリアムスの元でACに就任した。
リック・ブランソン
テンプル大出身のPG。当時はエディ・ジョーンズ、アーロン・マッキーらとチームメイトだった。95年に同大を卒業するがドラフトにはかからず、プロ1年目をオーストラリア、2年目をCBAで過ごした。NBAデビューは97~98シーズンのブレイザーズで、そこから05~06シーズンまで移籍を繰り返しながら生き延びた。キャリアのハイライトはクリッパーズにいた04~05シーズン。主力の負傷とPG不在という状況からスターターとして起用されることも多く、自己最多の80試合に出場した。
所謂ジャーニーマンで、ブレイザーズ、ニックス、ブルズにそれぞれ2度在籍したことがある。ニックス時代にはラトレル・スプリーウェルと仲良くなったとか。サウスポー。