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Channel: NBAヒストリー(ひばち)
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Los Angeles Clippers 86年オフ

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帆86年オフ

 

昨シーズン終了から2日後の87年4月15日、カール・シェアーは解任。

ベテラン・エグゼクティブでもクリッパーズでは上手くいきませんでした。

 

【後任は元スーパースター】

 

シェアーが去ったその日、フロントは後任にエルジン・ベイラーを迎えました。

 

50年代の終わりから71年までレイカーズ一筋でプレイした殿堂入り選手は、引退後、ジャズのコーチング・スタッフに。

76~77シーズンの途中からはHCを務めますが、成績は奮わず、79年に解任されていました。

NBAに携わるのはそのとき以来で、フロント業はこれが初めてです。

 

HCのドン・チェイニーはこのタイミングで再契約。

ドナルド・スターリングがチェイニーを評価していたようです。

 

一方、このオフFAになるデレック・スミスは、このタイミングで移籍を志願。

「クリッパーズからのオファーは酷かった。口では君がうちのベスト・プレイヤーだと言いながら、それを示さないんだよ」「チームに勝つ気がないなら、俺はここを出たい」とフロントを痛烈に批判しました。

 

【寂しいドラフト】

 

プレイオフに出られなかったにもかかわらず、クリッパーズには、1巡目指名権はおろか2巡目指名権もありません。

 

ドラフトで獲ったのは、ドウェイン・ポリー(3巡目第54位)、ステフォンド・ジョンソン(5巡目第100位)、ティム・ケンプトン(6巡目第124位)という3人でした。

 

ポリーはペパーダイン大出身のSG。

やや小柄ですがスピードがあり、合わせるプレイや速攻でのフィニッシュがいい感じです。

 

ジョンソンは6フィート8インチのPF。

LSUで3年過ごしたのち、サンディエゴ州立大に編入。スタッツを大幅にアップさせました。

マイケル・ケイジの後輩ですね。

 

この中でいちばん長くNBAで生き残るのがケンプトン。

ノートルダム大出身のビッグマン(6フィート10インチ)で、カレッジ時代はCを務めていました。

1,2年次と比べて、3,4年次にスタッツを大きく落としています。

 

【アクシデント2つ】

 

①7月頭、元オーナーのアーブ・レビンが、81年に行ったドナルド・スターリングへの売却無効を求めてきました。

スターリングは82年に訴えられているんですが(詐欺、怠慢、契約違反、オーナーとしての役割を果たしていないetc)、それに反応して、5年前の売却を無効にしたいとのことです。

 

※この件、86年9月に裁判が行われたみたいなんですが、結果がわからないんです。でも、オーナーが変わらないということは、レビンの訴えは通らなかったってことですよね。

 

②86年7月23日、ニューヨークのセントラル・パークでソフトボールに興じていたノーム・ニクソンは、ふとした拍子に穴にはまって、左膝に大怪我。

手術が必要となり、完治まで4~6ヶ月と診断されました(結果的にシーズン全休となります)。

 

【唯一の補強】

 

キングスにデレック・スミス、ジュニアー・ブリッジマン、フランクリン・エドワーズを放出。

見返りにラリー・ドリュー、マイク・ウッドソン&88年のドラフト1巡目指名権&89年のドラフト2巡目指名権を獲得。

 

フロントは、チームへの不満を明らかにしたスミスにクオリファイイング・オファーを提示して制限付きFAにしており、スミスはキングスのオファーシートにサインしたんですが、クリッパーズは一旦マッチ。

その直後に成立したのが、このトレードでした(なので実質サイン&トレードですかね)。

 

ドリューはキャリア6年のPG。

昨シーズンの途中から控えに回っていましたが、その前は3シーズン半ほどキングスのスターティングGでした。

平均20点・8アシストをマークしたシーズンもあります。

ニクソンの穴埋め狙いでしょう。

 

ウッドソンもキャリア6年の、こちらはSG。

キングス時代は6マン的な立ち位置にいることが多く、在籍した4シーズンちょっとで平均16点ほど稼いでいます。

 

これは、クリッパーズにとってはいいトレード。

もうスミスを引き留める気はなかったようで、なのにドラフト指名権までもらえました☆


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