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Milwaukee Bucks vol25

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鹿92~93シーズン



昨年13シーズンぶりにプレイオフ進出を逃し、チーム史上3番目に悪い成績に終わったバックスは、このオフ大掛かりな再建に乗り出しました。


【まずは新HC】


暫定HCのフランク・ハンブレンは解任。後任には昨シーズンまでレイカーズのHCだったマイク・ダンリービーがやってきました。

ダンリービーはまだレイカーズとの契約が2年残っており、バックスはダンリービーと契約する代わりに92年のドラフト2巡目指名権&95年のドラフト2巡目指名権をレイカーズにあげました。なんと破格の8年契約です。


ダンリービーは現役時代を過ごし、ACとしても3年間籍を置いたミルウォーキーに愛着があったようで、またその奥さんもロサンゼルスよりミルウォーキーでの生活を望んでいたとか。

昨シーズン終盤にはデル・ハリスもチームを離れており、ダンリービーの肩書きはHC/GM。「レイカーズでHCを務めることは特別」としながらも、思い入れのあるチームからのスペシャルなオファーは断れなかったようです。


【ダンリービー初仕事】


・ドラフトに先立ってジャズとトレードを成立。ジェイ・ハンフリーズラリー・クリスコヴィアックを出して、ブルー・エドワーズエリック・マードック&今ドラフトの1巡目指名権を獲得。

・そして、ドラフト1巡目第8位でトッド・デイ、ジャズからもらった指名権(第23位)でリー・メイベリーを指名。


エドワーズは運動能力の高いスウィングマン、マードックはルーキーシーズンを終えたばかりのPGです。エドワーズは昨シーズン中はスターティングSFでしたが、プレイオフでベンチスタートとなるなど出場機会の確保が微妙な立場にありました。マードックはまだ未知数かな?

これは、ジョン・ストックトンカール・マローンのバックアップをグレードアップしたいというジャズ側の意向が強かったようです。


デイ&メイベリーはともにアーカンソー大出身。「メイデイ」と呼ばれた2人は1年次から主力として活躍しており、同大が90年のNCAAファイナル4に進む原動力ともなりました(チームメイトにはオリバー・ミラーもいました)。


デイは6フィート6インチ・188ポンドのSG。やや細身ですが、運動能力が高いシューターです。91年2月に学生寮で女性に対する暴行事件を起こしたことがあり、約8ヶ月の出場停止処分を喰らったことがあります(当初は1年間の出場停止でした)。入団に際して、カレッジ時代から着用していた背番号10をダン・シェイズから譲り受けました。

メイベリーは6フィート1インチ・175ポンドの小柄なPG。この年のドラフトはシャキール・オニールアロンゾ・モーニングらをはじめとして層が厚かったんですが、PGに限っては超不作。1巡目で指名されたPGはメイベリーしかおらず、「一応」この年のドラフト最高のPGです。


↓次に指名されたPGはブレント・プライス


【地味補強】


・スパーズ、ブレイザーズと△トレードが成立。デイル・エリスをスパーズに出してブレイザーズからアッラー・アブデルナビーを獲得、スパーズはドラフト1巡目で指名したばかりのトレイシー・マレーをブレイザーズにあげました。

レスター・コナーをマジックに出して、サム・ビンセント&94年のドラフト2巡目指名権を獲得。

アンソニー・エイベントアンソニー・プラードと契約。


△トレードは、バックスとスパーズの取引話にシューターの欲しいブレイザーズが口を挟んできたパターン。リーディング・スコアラーの放出にしては見返りが少ないですが、フロントは起用法に不満を持つエリスをさっさと出したかったんですかね。

アブデルナビーはキャリア2年のF/C。エジプト出身で、昨シーズンまでは強豪ブレイザーズのベンチでした。


ビンセントはキャリア7年のPG。ここ3シーズンはマジックでスコット・スカイルズとスターティングPGの座を分け合っていました。

エイベントは昨オフの△トレードでその権利を獲得していたPF。去年はイタリアでプレイしていたので、ルーキーです。

プラードはマクニーズ州立大出身のPF。90年に同大を卒業後、一度はシクサーズと契約を結ぶんですが(ドラフトにはかからず)開幕前に解雇されていました。同大出身の選手はジョー・デュマース以来です。


↓91年のドラフト1巡目第15位指名


ダンリービーは就任早々積極的に動き、若手中心のチーム作りが始まりました。といっても中堅選手やベテランは少なからず残っており、(戦力は別として)バランスよく再建を進めているかな~と思います。

ですが、そんなバックスを開幕前にアクシデントが襲います。


獲得したばかりのビンセント、モーゼス・マローンの長期戦線離脱が決まってしまうんですね。


ビンセントはプレシーズンで左アキレス腱を断裂し、シーズン絶望が濃厚。マローンはトレーニング・キャンプ開始から背中の痛みに悩んでいたようなんですが、手術を決断。椎間板ヘルニアの手術で、復帰時期未定の離脱となりました。

特にマローンが手術を決断したのは開幕前後で、穴埋めの補強にも動きにくいタイミング。このまま行くしかありません(てか行きます)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


しかし、そんなバックスは意外にも好調なスタートを切ります(!)

[マードック&エドワーズの元ジャズコンビ、アルビン・ロバートソンフランク・ブリコウスキー、ルーキーのエイベント]という新鮮なスターターでリーグトップタイの10勝3敗と開幕ダッシュに成功しました♪


再建の道を選んだ上にマローン&ビンセントが離脱したため、バックスの前評判はかなり低く、この好調ぶりはネッツの開幕ダッシュ(チャック・デイリーが就任)と並んで、このシーズン序盤のサプライズでした。


でも、長いシーズンはそんなに甘くありません。最初の1ヶ月はスケジュールが比較的楽だったんです。12月に入ってロードの試合が増え、スケジュールがタイトになってくるとあっさり11連敗(主力の故障もあったけど)。その後にも7連敗を喫し、少しずつ沈んでいきました。

オールスターブレイク時点では20勝31敗とまだ第8シードの背中が見える位置にいましたが、後半戦はロバートソンのトレード(後述)やブリコウスキーの故障などの影響もあってかボロボロ。8連敗でシーズンを終えました。

28勝54敗はディビジョン最下位・カンファレンス下から3番目です(サプライズ仲間だったネッツはプレイオフに出ました)。


新生バックスはアップテンポなゲームを展開しましたが、得点力があるワケではなく、ディフェンスについてはけっこう壊滅的。スティールがリーグ2位だったんですが、やっぱスティールやブロックの多さって必ずしもディフェンスの良さには結びつかないんですよね(相手チームに許したスティール数はリーグ下から2番目w)。


【核となったのはこの2人】


エドワーズは全82試合に出場し、開幕戦を除く81試合でスターターを務め、平均16.9点・4.7リバウンド・2.6アシスト・1.6スティール・FG成功率51.2%をマーク。ほとんどのカテゴリーでキャリアハイを更新し、バックスにとってエース級の存在となりました。

速攻のフィニッシュやパワフルなドライブを得意とするエドワーズにとって、若手主体でアップテンポなゲームを目指す新生バックスのスタイルはやりやすかった様子。フィジカルで熱いキャラクターも、再建を目指すチームにとってピッタリだったかもしれません。


ブリコウスキーは66試合(うち64試合が先発)で、平均16.9点・6.1リバウンド・3.0アシスト・1.2スティール・FG成功率54.5%(リーグ8位)をマーク。ウォリアーズが興味を示している・バックスがトレードしようとしている・・・など移籍の噂もありましたが、結果的には中心選手として良いシーズンを過ごしました。

マローンの離脱によりひさしぶりにCにスライド。Cとしては小柄ですが、その分器用で、アシストやスティールはもちろん、(本数は少ないけど)3Pもバリエーションにある多彩さを見せました(26本打って8本成功)。オフェンスでムラが少ないのもいいですね。


↓アウトサイド・シュートは控えめ


【若手の台頭】


昨シーズン、ジャズであまり頼りにならないバックアップPGだったマードックはこの移籍で開花☆開幕からサプライズな活躍を見せ、79試合(うち78試合がスターター)で平均14.4点・7.6アシスト・2.2スティール(リーグ7位)・FG成功率46.8%をマーク、MIPの投票では2位に食い込みました(受賞したのはクリス・ジャクソン)。

ビンセントの故障で回ってきたスターティングPGの座でしたが、見事にチャンスを活かしました。ダンリービーがレイカーズにいた昨夏、レイカーズはドラフトでマードックの指名を試みており、ダンリービーと相性がいいのかもしれません。


そして、ルーキーコンビの「メイデイ」も、オール・ルーキー・チームには選ばれなかったけど、良いプレイを見せました。


デイは71試合(うち37試合が先発)で、平均13.8点・FG成功率43.2%・3P成功率29.3%・FT成功率71.7%。コート狭しと駆け回るような躍動感あるプレイは切れ味鋭く、果敢に攻めるドライブや鮮やかなダンクでも存在感を見せました。SGとしてはシュートの精度が低く、ムラも目立ちましたが・・・

開幕からしばらくはベンチスタート。年明けにロバートソンが故障したとき、ダンリービーはまずフレッド・ロバーツをスターターとして起用しますが、すぐにデイをスターターへインサート。オールスターブレイク直前に左肘を脱臼し、1ヶ月ほど欠場しますが、そのままスターティングSGに定着しました。


メイベリーは全82試合に出場し、平均5.2点・3.3アシスト・FG成功率45.6%・3P成功率39.1%・FT成功率57.4%をマーク。シュート力に難はあるモノのマードックの不在時&不調時には穴を埋める働きを見せており、バックアップPGとしては及第点でした。

そしてエイベントも全82試合に出場。うち78試合でスターターを務め、平均9.8点・6.2リバウンドをあげました。最初の2ヶ月くらいは、2桁得点を連発するなど比較的コンスタントに活躍していたんですが、シーズン半ばくらいからはやや苦戦。ちょっと波が激しくなりました。


↓リーグ2位のスティールはこの人のお陰


↓ドラフトの成果はまずまず


↓外見はルーキーらしからぬメイベリー


【古参組】


オフにFAになったのに特にオファーがなく戻ってきたブラッド・ローハウスは80試合で平均9.1点・3P成功率37.0%(85/230)をマーク。ローハウス的にはキャリアベストのシーズンのひとつとなりました。

目立ったのは、デイが欠場し、その穴を埋めていたロバートソンもトレードされて、スターターになってから。主にSFとしてプレイし、2桁得点を連発するなど得点源の一角となりました。精度・本数をトータルで考えると、バックス最高のシューターはローハウスだったかもしれません。


フレッド・ロバーツは4シーズンぶりにベンチへ。複数のポジションをこなせる控えとして79試合で平均7.6点をあげましたが、怪我人が戻ってきたり、トレードでメンツが新しくなったり(後述)したシーズン終盤は出場機会がかなり制限されました。バックスでプレイするのはこれが最後です。


背番号24となったシェイズは昨シーズンとほぼ変わらず。開幕から最初の1ヶ月ほどは数分単位でしか起用されませんでしたが、アブデルナビーがチームを去ったことで出場機会を取り戻しました。昨シーズン急降下したシュートの精度が更に落ちて40%に届かなかったのは、年齢的な衰えですかね?


マローンは3月末に復帰。復帰戦でいきなり13点をあげましたが、本調子には遠かったのか、チームが若手を優先したのか、その後は精彩を欠きました。11試合で平均4.5点・4.2リバウンド・FG成功率31.0%というのはもちろんキャリアワーストです。


【シーズン中も活発に動きました】


・12月頭。アブデルナビーをセルティックスに出して、ジョン・バリー&95年のドラフト2巡目指名権を獲得。

・年明け。プラードを解雇してアラン・オッグと10日間契約。

・2月頭にダン・オサリバン、2月半ばにデレック・ストロングアレックス・スティブリンズと契約。

・トレード期限。ロバートソンをピストンズに出してオーランド・ウールリッジを獲得。


バリーはルーキーSG。ドラフト1巡目第21位でセルティックスに指名されたんですが、契約がまとまらず、開幕からプレイしていませんでした(バリーの希望は3年契約、セルティックスのオファーは2年契約)。バックスでは最初の2ヶ月ほどはあまり積極的に起用されず、最終的にも47試合で平均4.4点・FG成功率36.9%ともうひとつな出来に終わりました。この人が優秀なロールプレイヤーとなるのはもっと先です。

因みに、アブデルナビーはトレード直前、マリファナの所持で逮捕されています。


リック・バリーの息子です


ストロングは2年目のPF・・・といっても昨シーズンは海外やUSBLを渡り歩き、NBAでプレイしたのは1試合のみ。今シーズンもCBAでプレイしていました。今回は、そのCBAでMVPやニューカマー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなどめざましい活躍を見せていたのが、バックスの目に留まったようです。

この人は今後、バックアップPFとしていろんなチームで渋い活躍を見せるんですが、その第一歩がここでした。

オッグ&オサリバンはCで、スティブリンズは今シーズンがNBA2年目ながら30歳という苦労人F。3人は3試合プレイしただけで解雇です。


ロバートソンはチームの再建プランに入っていませんでした。ダンリービーはマードックやデイら若手のいるバックコートにロバートソンはフィットしないと考えていたようで、また、ロバートソン自身もトレードされることを予想していたようです(古巣サンアントニオに戻りたいとコメントしていたことも)。

シーズン序盤は若手と出場機会を分け合っていましたが、腰を痛めて1月の大半を欠場すると、2月頭に復帰した後はベンチスタートにシフトしていました。


ウールリッジはキャリア12年目のベテランF。得点力が高く、かつては得点ランキングの上位に名を連ねることもありました。ダンリービーはサイズのある選手&運動能力の高い選手が欲しかったようです。

ただ、トレード直前に右眼窩を骨折していたため、トレード時点では目下欠場中。復帰するのは4月に入ってからで、ベンチから8試合プレイしただけに留まります。


↓これ以降、ゴーグルをつけるようになります


創設25周年という記念のシーズンは再建の第一歩。たった1シーズンで(昨シーズンと比べて)これだけメンバーが入れ替わったのはチーム史上初のことでした。

勝率は昨シーズンを下回ったものの、有望な若手が多く、スタートとしては悪くないシーズンだったかと思います。ダンリービーが本格的にチームを創るのはこれからです。


2014~15順位予想

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大変ご無沙汰してます!


今年の7~10月は楽器の趣味の方が忙しく、ブログ完全に放置しておりました。

またぼちぼち書いていこうと思ってまして、その第1段として毎年恒例?の順位予想をアップします。ま、当たらないんですけどねw


●イースト

1位 ブルズ

2位 キャブス

3位 ネッツ

4位 ウィザーズ

5位 ラプターズ

6位 ピストンズ

7位 ホークス

8位 ニックス


9位 ペイサーズ

10位 セルティックス

11位 ホーネッツ

12位 ヒート

13位 バックス

14位 マジック

15位 シクサーズ


期待を込めたのがネッツ&ピストンズ、もうちょっと上に来るかもなと思ってるのがペイサーズ&セルティックス。

ホーネッツ&ヒートは意外と勝てないんじゃないかと思ってます。NBA見始めてもうすぐ20年ですが、僕が見てきた中でいちばん弱そうなチームが今年のシクサーズです。これでプレイオフ争いなんかしようモノなら、ハンパなく面白いんですけどね・・・


●ウェスト

1位 クリッパーズ

2位 スパーズ

3位 サンダー

4位 ウォリアーズ

5位 マーベリックス

6位 ブレイザーズ

7位 グリズリーズ

8位 レイカーズ


9位 ナゲッツ

10位 サンズ

11位 ロケッツ

12位 ペリカンズ

13位 ウルブズ

14位 キングス

15位 ジャズ


レイカーズには期待を込めてますwウォリアーズとマブスが昨シーズンより良いと思ってるんですが、それがどの程度なのか読みにくいんですよね。

ロケッツの順位は狙って当てに行ったつもりです(そんなこといってプレイオフに出て来ないかビクビクしてますがw)。ペリカンズ&ウルブズ&キングスは、タレントはかなり良いと思うんで、もっと勝ってもおかしくないですよね、たぶん。


またよろしくですー

Cleveland Cavaliers vol27

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騎96~97シーズン



昨シーズン、リーグ屈指のディフェンシブなチームとなったキャブスは、その路線で更に突き進むことになります。


【ビッグマン・ドラフト】


ドラフト1巡目第12位でビタリー・ポタペンコ、第20位でジドルナス・イルガウスカス、2巡目第56位でレジー・ギアリーを指名。


ポタペンコはウクライナ出身のビッグマン(6フィート10インチ・280ポンド)。ウクライナのプロリーグで2年間プレイした後に渡米し、ライト州立大で2年プレイしました。

ドラフト時は、出来上がった体格&左右どちらの手でもシュートを打てる器用さを評価されていた一方、身体能力の低さ&ミスの多さを懸念されていました。コービー・ブライアントのひとつ前に指名された選手として捉えると失敗感が漂いますが、この指名自体は悪くありません。


イルガウスカスはリトアニア出身の7フッター(7フィート3インチ・238ポンド)。10代の頃から母国でプロとしてプレイしており、サイズに似つかわしくない技術がセールスポイント。シュートタッチは柔らかく、ミドルレンジからも打てます。

ただ、リトアニアにいた昨シーズンは足の骨折で全休しており、このオフ(夏)はプレイしていたようなんですが、開幕2週間ほど前に同じ足にもう一度手術を受け、早くもシーズン全休が決まりました。また怪我をしたワケではなく、怪我した足を強く?するための手術だったようです。


ギアリーはアリゾナ大出身の小柄なPG。94年に同大がファイナル4に進んだときのメンバーです。ディフェンスはまずまずですが、シュートがかなり微妙です。


↓若き日のイルガウスカス


【お疲れさまでした・・・】


96年6月、ブラッド・ドアティが現役引退を表明。最後にプレイしたのは94年2月で、2年以上も背中の怪我に悩まされた上での引退でした。


プレイする可能性を求めてたくさんの医者に意見を求めたようですが、誰もが「バスケットはムリだ」という見解だったようです。

ドアティには92年に結んだ契約がまだ4年も残っており、この引退によってキャブスのサラリーキャップは多少削減されました。この人が契約満了までプレイしていたらどんな感じになっていましたかね・・・


【補強は控えめ】


ダン・マーリーハロルド・マイナージョン・クロッティジョン・アメーチダリル・ジョンソンらはみんなリリース。

代わりにマーク・ウェストショウネル・スコットカール・トーマスと契約を結びました。


かつてラリー・ナンスとのトレードでサンズへ去ったウェストが、8年ぶりに帰ってきました。

これはドアティ引退による穴を埋めるための動きでしたが、キャリア13年の大ベテランとなったウェストは数シーズン前から衰えが顕著。しかも、マイケル・ケイジがシクサーズと契約してしまうので、逆に層は薄くなってしまいました。


スコットは6フィート10インチ・250ポンドのC。94年にセントジョンズ大を卒業後、ブレイザーズからドラフト2巡目で指名されますがロスターには残れず、CBAなどでプレイしていました。スキンヘッドが印象的ですが、カレッジ時代は髪がありましたw

トーマスはかつて1シーズンだけキングスでプレイしたことのあるSG。ここ4シーズンはCBAでプレイしていました。


↓髭にスキンヘッド


昨シーズン、キャブスのロースコアに持ち込むスタイルは、平均失点&相手チームに許した平均リバウンド数でリーグ記録を更新し、カンファレンス4位の47勝をあげた一方で退屈だとも評されました。

来るシーズンに向けてHCのマイク・フラテロは、その悪評を気にしたのか、より上位に行くための手段として考えたのか、ゲームのテンポアップを示唆。プレシーズンではその方向性が早くも垣間見えました。クリス・ミルズは「もうキャブスのゲームが退屈だとは誰も言わなくなるだろう」などとコメントしており、新たなキャブスが見られるかもしれません。若手と中堅を中心に構成された若いチームですしね。

昨シーズンと同じようなロスターでそこまでの変化が望めるのか疑問ですが・・・


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開幕するとキャブスのゲームはやっぱりディフェンシブ。相手を80点以下に抑えることも珍しくないディフェンスで、コツコツ勝ち星を積み重ねました。


ペースが上がったのは12月半ばにヒルをCにスライドさせ、昨シーズン活躍したダニー・フェリーをPFとして起用してから。これが成功し、直後の11試合を9勝2敗と勝ち越し、貯金は一気に2桁となりました♪

昨シーズン同様、インサイドの選手ひとり+アウトサイドから打てる選手4人で戦う「95年ロケッツスタイル」が上手くいくんですかね~


しかし、その直後に6連敗を喫すると、なかなか立て直せなくなってきます。6連敗中に一度開幕スタメンに戻し、その後またヒル&フェリーに戻しますが、効果は薄く、貯金を少しずつなくなっていきました。

一方、キャブスがペースを落とすのと反比例するようにブレッツが浮上。ブレッツはシーズンの大半で勝率5割を下回っていたチームで、2月頭にはHCを交代してるんですが、新HCになってから勢いを増し、盛り返してきました。


↓フィルズとミルズって語呂が良いですよね


97年4月1日。キャブスがニックスに敗れ、ブレッツがペイサーズに勝ったことで、遂に両チームは勝率で並びます。直後にはブレッツに抜かれてしまうんですが、キャブスも譲らず、第8シード争いは熾烈になりました。

そしてNBAのスケジュールてのは上手くできてるんですね~シーズン最終戦がまさかの直接対決で、しかも勝った方がプレイオフに進めるという、ファンにはたまらない展開となりました。

キャブス(42勝39敗)、ブレッツ(43勝38敗)で迎えたこの直接対決は、85対81でブレッツが辛勝。試合はガンド・アリーナで行われたんですが、キャブスはホームコート・アドバンテージを活かすことが出来ませんでした。ブレッツのプレイオフ進出は88年以来で、逆にキャブスがプレイオフに出られないのは・・・年ぶりのことでした。


シーズン前の「アップテンポにしたい」発言はどこへやら。キャブスは今シーズンもリーグ1ロースコアなゲームをするチームでした。

平均87.5点・85.7失点は昨シーズンを上回るロースコアぶりで、平均失点はリーグ新記録(前記録は昨シーズンのキャブス)!12月4日のマジック戦では57点に抑えて勝っており、これは1試合最少失点のリーグタイ記録でした。

ただ、相手チームを80点台・70点台に抑えたのに勝てないというケースも少なくなく、70点に届かない試合が5試合もありました(3月末のスパーズ戦では59点しか奪えず)。因みに平均得点は、リーグ史上2番目の低さです。


試合が退屈だという評判は拭えず、先述の大事なシーズン最終戦ですら、空席がちらつく有様でした。


【今シーズンもこの3人が中心】


ブランドンは78試合で平均19.5点・6.3アシスト・1.8スティール・FT成功率90.2%(リーグ2位)。ほとんどのカテゴリーで昨シーズンと同じかそれ以上のスタッツを残し、2年連続のオールスター出場(地元クリーブランドで開催)も果たしました。

プレイスタイルという点でもキャブスにいるという点で、地味なんですが、この当時のリーグでは間違いなくトップクラスのPGのひとり。オフコートの活動も素晴らしく、シチズンシップ・アワードも受賞しています。


ミルズは80試合で平均13.4点・6.2リバウンド・1.1スティール。過去2シーズンもチーム最長のプレイングタイムだったミルズですが、このシーズンはバックアップに恵まれなかったためか、リーグ9位の平均39.6分もプレイしました。プレイングタイムの上位にくる選手は各チームのエース級が多く、ミルズのようなロールプレイヤーがランクインするのは珍しいです。


フィルズは69試合で平均12.6点・1.6スティール・3P成功率39.4%。

13試合を故障で欠場したワケですが、そのタイミングが悪く、3月末のヒート戦で左鼠径部を負傷し、9試合欠場したのはチームにとって大打撃でした。ラスト3試合で復帰するも本調子ではなかったようで、ベンチスタート止まり。大事なシーズン最終戦ではほとんど何も貢献出来ませんでした。


↓ベストPGのひとりという評価もありました


↓この頃が選手としてのピークかな


【フロントライン】


恐らくですが、フラテロがゲームのテンポアップ(得点力アップ)を目標として掲げた根拠のひとつに、ヒルの健康があったのではないかと思います。

ヒルは74試合(うち70試合が先発)で平均12.9点・9.9リバウンド・FG成功率60.0%(リーグ2位)をマーク。スタッツ的にはオールスターに選ばれた2シーズン前と遜色なく、インサイドの要として良いプレイを見せました。


フェリーは全82試合(うち48試合が先発)に出場し、平均10.6点・3P成功率40.1%(114/284)。プレイングタイムは昨シーズンとほぼ変わらず、スターターとしても、6マンとしても効果的な活躍が出来ることを示しました。


ウェストは70試合で平均3.2点・2.7リバウンド・FG成功率55.6%。43試合でスターティングCを務めましたが出場機会は限定的で、プレイングタイムは平均15分もありませんでした。スターターがどうであれ、ヒル&フェリーがベストのフロントラインで、ポタペンコの台頭もウェストの出番を減らしたかと思います。


↓Cとしても悪くなかったヒル


【大事なベンチ】


2年目のボブ・スーラは全82試合(うち23試合が先発)で、平均9.2点・3.8リバウンド・4.8アシスト・1.1スティール。フィルズの故障などもあり、プレイングタイムは昨シーズンから倍近く増えました。

複数のポジションをこなすことが出来、リバウンドも獲れちゃう(開幕直後のグリズリーズ戦ではキャリアハイの13リバウンドをマーク)多彩さが魅力なんですが、一方でシュートは全般的にお粗末。FG成功率43.1%・3P成功率32.3%・FT成功率61.4%はいただけません。

オールスター・ウィークエンドにはスラムダンク・コンテストに出場。パッとしなかった1stラウンドの中でも点数が伸びず、あっさり敗退しました。


ポタペンコは80試合で平均5.8点・2.7リバウンド。(層が薄かったからかもしれないけど)スタッツ以上に働きは良く、ベンチプレイヤーとしては及第点のルーキーでした。

開幕2試合目で22点あげたときは個人的にかなり期待したんですが、さすがにそれをコンスタントにマークするレベルの選手ではなかったですねwルーキー・オールスターのメンバーに選ばれています。


アントニオ・ラングは64試合・平均13.2分「も」プレイ。マーリーがチームを去った分、出番が回ってきましたかね。ラングに出番が回ってくるのは、チームの層が薄い証拠ですが。


この3人+フェリーorウェストの4人がお馴染みのベンチでした。


↓シュートはまずまず上手です


【層が薄いんです】


ドニー・マーシャル、ギアリー、トーマス、スコットはプレイングタイムが平均10分に届かないカルテット。

別にどこのチームにもガーベイジタイム要員はいるんですが、このシーズンのキャブスに在籍した選手は13人(イルガウスカスを除く)で、うち4人がガーベイジタイム要員なんです・・・厳しいですよね?!


マーシャルは56試合で平均3.1点。FG成功率は30%台前半と壊滅的でしたが、3P成功率37.9%は悪くなく、1月末のホーネッツ戦では3P4本すべて決めるなどキャリアハイの17点をあげています。

ギアリーは、チームにブランドン以外に純粋なPGがいないにもかかわらず、39試合・平均6.3分しか出番がありませんでした。ブランドンが欠場した試合では長めに起用されましたが、そのときもインパクトを残すことはできませんでした。


スコットは年明けまで出番なし。トーマスも、最初の2ヶ月ほどプレイしたら故障者リスト入りし、あとはシーズン終盤にフィルズが怪我するまで出番はありませんでした。


↓フロントと上手くいってなかったという話も?


決して多かったとは言えない主力の故障が、肝心なシーズン終盤に続いたのは不運。ただ、主力が揃っていたとしてもプレイオフ進出はギリギリだったでしょうし、仮に出場できても第1シードのブルズにあっさりスウィープされていたことでしょう(ブレッツはスウィープされるも大健闘の戦いを見せます)。


因みに97年3月1日、ドアティの背番号43は永久欠番になりました。


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【オールスター@クリーブランド】


このシーズンはリーグ創設50周年ということで、オールスターゲームのハーフタイムには、リーグ史に残る偉大な50人に選ばれた選手・元選手たちが一堂に会するというセレモニーがありました。


キャブスでプレイしたことのあるレジェンドはウォルト・フレイジャーネイト・サーモンドレニー・ウィルケンスの3人でしたが、いずれもキャリアのプライムタイムを過ごしたワケではなく、地元に馴染み深い選手がいなかったのはちょっと残念でした。

ウィンザーの陽気なシロガネーゼたち

Indiana Pacers vol22

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P88~89シーズン



昨シーズン、ロッタリーチームに逆戻りしてしまったワケですが、38勝していたにもかかわらず、1巡目の2位指名権をゲットできました♪83年・85年に続く2位指名です。


【将来の布石となる指名その2】


1巡目第2位でリック・スミッツを指名。オランダ人の長身C(7フィート4インチ・250ポンド)で、マリスト大の出身です。


マリスト大は80年代に入ってディビジョン1に昇格したばかりのマイナー校。同大はNCAAで海外からのリクルートに最初に力を入れた学校のうちのひとつで、その成果がスミッツでした。

ただ、評価はさほど高くなく、国際試合でプレイしたのをきっかけに渡米するも、母国オランダで2年間しかプレイしていないという経験の浅さからか、どこの大学からも声はかかりませんでした(「まずジュニア・カレッジに入って、その後ディビジョン1の大学に編入してはどうか」というアドバイスはあった様子)。

そんなワケで、マリスト大へは、自ら奨学金を求める手紙を書いて入学。2年次くらいからそれなりに注目されていたようですが、線の細さやNBAのスピードについていけないのでは?という懸念、マイナーなカレッジ出身という点から、モノになるまで数年かかるという見方が大半。GMのドニー・ウォルシュも悩んだようです。


↓ニックネームは「ダンキング・ダッチマン」です


また3巡目第73位ではマイケル・アンダーソンを指名。

クリントン・ウィーラーがエクスパンション・ドラフトでホーネッツに去ったことを受けて、PGが欲しかったようです。開幕ロスターには残れませんが、のちにスパーズに拾われます。


【戦力に影響のない補強】


アンソニー・フレデリックと契約。

ロン・アンダーソンをシクサーズに出して、エバレット・ステファンズを獲得。

リチャード・モートンと契約。


フレデリックは6フィート7インチ・205ポンドのSF。86年にペパーダイン大を卒業後、ドラフト6巡目でナゲッツから指名されるもチームには残れず、CBAへ。去年のオフにもペイサーズと契約を結んでいるんですが、そのときも残れず、もう1年CBAでプレイしました。

ステファンズはこの夏のドラフト2巡目第31位で指名されたばかりのルーキーPG。2巡目ながら評価は悪くなく、スリーパーではないか?という見方もあったほどでした(シクサーズはそう思ってなかったようです)。パデュー大の出身です。

モートンは6フィーと3インチ・190ポンドのPG。カリフォルニア州立大フラートン校の出身で、4年次には平均22.0マークしましたが、6月のドラフトにはかかりませんでした。プレシーズンでは良いプレイをみせたようです。


フロントは豊富なF陣をトレードのコマとして使うことに前向きでしたが、「オフの間に」決まったのはアンダーソンのトレードだけでした。アンダーソンは出場機会が与えられないことに不満を漏らしていたので、念願叶ってといったところでしょうか。


グレン・ロビンソンの先輩


昨シーズンのペイサーズの弱点の1つが、ブロックの少なさ。これを受けてジャック・ラムジーは、インサイド強化&サイズアップのため、[ヴァーン・フレミングチャック・パーソンウェイマン・ティズデイルハーブ・ウィリアムススティーブ・スティパノビッチ]という大型ラインナップを示唆するなど、新シーズンに向けて策を練っていました。


ただ、ジョン・ロングは背中の故障で開幕に間に合わず、スティパノビッチも開幕直前に左膝の手術を受けるなど、実際は昨シーズンのスターターを2人も欠き、新ラインナップを試すのも難しいスタートとなります。開幕スタメンは[フレミング、レジー・ミラー、パーソン、ウィリアムス、グレッグ・ドレイリング]です。


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ペイサーズは開幕から勝てません。そして開幕7連敗となったところで、ラムジーが辞任してしまいます(!)ラムジーは「チームの方針が気に入らなかったこと、もう楽しめなくなったこと」を理由に挙げました。

ラムジーはこの時点で史上2位の通算864勝(1位はレッド・アワーバックの938勝)。これ以降コーチをすることはありません。

ラムジーの辞任は突然で、直後の2試合はACのメル・ダニエルズデイブ・トワージックが共同でHCを代行。そして3シーズン前にペイサーズのHCを務めていたジョージ・アーバインが暫定HCに就任しました。


↓僕はこの方を日本の某雑誌で知りました


アーバインは初戦で白星をあげ、開幕からの連敗を9でストップ。アーバイン体制のペイサーズはチームプレイをするようになり(アシスト増加)、ウィリアムスも存在感を増すなど、勝ち星はなかなか増えないながらも前進しているようでした。

ただ、アーバインは暫定HCであり、この間にもウォルシュは正式なHCを探していました。ベテランのスタン・アルベックから、ジョージ・カール(この当時はコーチとして目立った実績はありませんでした)、マイク・ダンリービー(一度引退していた時期です)、ブライアン・ウィンタースアラン・ブリストウ・・・と多くの候補が挙がる中・・・


●やっと決まったHC

最終的にウォルシュが新HCに抜擢したのは、強豪ピストンズのAC、ディック・ヴァーセイスでした(ピストンズには99年のドラフト2巡目指名権を渡しています)。

ウォルシュは、チームに活気や激しさをもたらすことが出来る人物、ということでヴァーセイスを選んだようです。


ヴァーセイスは選手としてのプロキャリアはなく、NBAでのHCもこれが初めてです。高校のフットボール・チームのコーチをしたり、ミシガン州立大でマジック・ジョンソンをリクルートしたり、やや変わり種のキャリアを経て80年代序盤にブラッドリー大のHCに就任。同大を、NCAAトーナメントに導くなど指導力を見せました。

ただ、リクルートに関してNCAAの規定違反を犯し、それをきっかけに辞任。ピストンズのACとなりました。ピストンズではチャック・デイリーのトップ・アシスタントでした。


ヴァーセイスは「トランジション・ディフェンスのまずさ」「勝てる見込みがなくなってくるとハードにプレイしなくなること」など現時点での問題点を、古巣ピストンズと比較して分析。再建に乗り出します。


ヴァーセイスが就任したペイサーズは、いきなり3連勝(アーバイン時代とあわせると4連勝)しますが、それ以降は目立った成果なし。1月末~2月末にかけては12連敗もありました。

ただ、ウォルシュGMはその12連敗中(2月20日頃)にトレードを2件成立させており、これがペイサーズにとってとても良い動きとなるんです♪


●そのトレード2件+α

・ティズデイル&ドラフト2巡目指名権をキングスに出して、ラサール・トンプソンランディ・ウィットマンを獲得。

・ウィリアムスをマブスに出して、デトレフ・シュレンプ&90年のドラフト2巡目指名権を獲得。

・ロングを解雇。


ウォルシュはヴァーセイス新HCにフィットした選手が欲しかったこと(もっと走るオフェンスをしたかったとか)、屈強なリバウンダーが欲しかったこと、スミッツが入ったことでローポストを主戦場とするティズデイルとエリアが被ること・・・をトレードの理由にあげました。

トンプソンは6フィート10インチ・245ポンドのビッグマン。リバウンドやディフェンス、スクリーンをセットするといった仕事を得意とするブルーワーカータイプです。

ウィットマンは6年目のシューター。昨シーズンまではホークスのスターティングGでした。生まれも育ちも高校もインディアナで、カレッジもインディアナ大という地元っ子です。


シュレンプは4年目のF。85年のドラフト1巡目第8位という高順位でマブス入りしたんですが、Fの層が厚いマブスでは出番が限られていました。

このシーズンのマブスはシーズンが進むにつれて調子を落としており、マーク・アグワイアも放出するなど改革に乗り出していました。ウィリアムスの獲得は、ロイ・タープリーの離脱などで手薄になっていたインサイドを補強する意図があったようです。

マブス側はこのトレードが自分たちにとってかなり有利な取引だったと思っていたようですが、実際は真逆の結果になります(!)詳しくは今後数シーズンをご覧あれ。


ウォルシュはブレイザーズのキキ・ヴァンダウェイも狙っていたようで、PFを探していたホークス(ケビン・ウィリスが全休)、ニックスと△トレードの交渉もしていました。

ウォルシュは「ヴァンダウェイはブレイザーズに残るorペイサーズに来る」とニックスに行かないことに自信を持っていましたが、結果的にニックスに取られてしまいます。


ウィリアムス&ティズデイルは決してパフォーマンスが悪かったわけではなく、特にアーバイン就任後に目立っていたウィリアムスは1月23日のナゲッツ戦でチーム記録となる29リバウンドを奪取しています(前記録は77年にダン・ラウンドフィールドがあげた25リバウンド)

故障で出遅れたロングはシュートタッチが安定せず、乱調気味。年明けからは持ち直していましたが、今回はロスターの人数調整であっさり解雇されました。

この後すぐに古巣ピストンズに拾われ、チャンピオン・リングを手にするんで結果オーライですかね?


↓このトレードでキャリアが開けるシュレンプ


トレード後のペイサーズは成績がアップ。移籍組が上手くフィットし、移籍組合流後の32試合はなんと17勝15敗と勝ち越しました(合流前は11勝39敗)。

最終成績は28勝54敗開幕直後は「ペイサーズの下にはエクスパンション・チームのヒートしかいない」という惨状でしたが、だいぶ持ち直すことが出来ました。ホームで20勝21敗というのも決して悪くなく、来シーズンは期待できるかも知れません。


【シューターコンビ】


ウィリアムスの移籍でキャプテンになったパーソンは、平均21.6点・6.5リバウンド・3.6アシスト・1.0スティール・FG成功率48.9%・3P成功率30.3%・FT成功率79.2%をマーク。

個人スタッツという点ではキャリア最高のシーズンのひとつで、特に1月末のニックス戦ではキャリアハイの47点をあげています。


12月20日のニックス戦に大敗した後、チームメイトに対してキレており(「うちのチームにはロールプレイヤーがいない」「こんな奴らと一緒にプレイしたくない」とか言っちゃったとか)、ウィリアムスも去り際、パーソンについて「オフェンスのことを考えすぎ(ディフェンスをあまり考えない)」「チームメイトが何を求めているのか考える必要がある」的な指摘を残すなど、キャプテンに相応しいのかはわかりませんw

キャプテンになって初めての遠征では、チームのバスに乗れず、シュートアラウンドに遅刻するというヘマをやりましたが、これはチームが特に問題にしなかったようです。


2年目のミラーはスターティングSGに定着し、74試合で平均16.0点・1.3スティール・FG成功率47.9%・3P成功率40.2%・FT成功率84.4%をマーク。3Pは成功数・試投数・成功率のすべてでリーグトップ10に入り、オールスター・ウィークエンドには3Pコンテストにも初出場しました(4位でしたが)。

ディフェンスも悪くなく、また昨シーズンのようにシーズンが進むに連れて失速することもありませんでした。ロングが健康だったら、ラムジーがどっちを開幕スタメンにしていたのか気になりますw


↓シーズンハイの36点(3P6/11)はキャリアハイ


【7フッターカルテット】


まずですね、スティパノビッチは膝が回復せず、シーズン全休となりました。

最初に手術したときは「少なくとも6週間は欠場する」という話だったんですが、回復せず、年内に2度目の手術を受けていました。左膝に栄養素がいかなくなる血液の病気(であってる?)だそうで、年明けの時点でリハビリを始める目処が立たないなど事態は深刻化してしまいます。


スティパノビッチの離脱により、スミッツには(たぶん)予定よりも早く出番がまわってきました。

スミッツは契約交渉がなかなかまとまらず、最終的にサインしたのが10月に入ってからだったので夏の間にあまりプレイできず、ラムジーも最初は期待していなかったみたいなんですが、開幕6試合目からスターターに昇格。全82試合に出場し、うち71試合でスターターを務め、平均11.7点・6.1リバウンド・1.8ブロックをマークしました。

オール・ルーキー1stチームに選出されたのは立派です。


ただ、「即戦力として素晴らしい活躍をした」とも言い難く、シュートタッチの良さなど巧さを見せた半面、懸念された通り?ディフェンスやリバウンドなどフィジカル面では苦戦、「将来に期待」という評価をいい意味で覆すほどではありませんでした。ファウルも多く、ファウルアウトは14回もありました。


↓この当時、背番号は24でした


オフに再契約を結んだグレイはトンプソン&シュレンプの加入でシーズン終盤は出番が減るんですが、それでも主にスミッツのバックアップとして72試合に出場しました。

開幕スタメンに抜擢されたドレイリングは、スミッツがスターターになると3番手Cに格下げ。10分以上プレイすることは稀で、特筆すべき点はないんですが、それでも過去2年に比べると出番は多く、一応3年目にして自己最高のシーズンを過ごしました(と思う)。


【よかった移籍組】


トンプソンは移籍後33試合プレイし、うち29試合でスターターを務めました。キングスではCでしたが、ペイサーズにはスミッツがいるため、PFとCの両方でプレイ。役割としてはウィリアムスと似たような感じでしょうか。

ペイサーズでは平均12.5点・9.9リバウンド・1.0スティール・1.2ブロックをマークしています。


シュレンプはトレード後の32試合で、平均14.8点・7.2リバウンド・FG成功率51.4%をマーク。ヴァーセイスHCはシーズン終盤に[スミッツをベンチスタートにしてトンプソンをCにスライド、シュレンプ&パーソンのFコンビ]というラインナップを試しており、シュレンプへの期待の高さが伺えます。

マブスではスクリーンをセットしたり、リバウンドをとったり、と所謂ビッグマンがやる仕事を求められていたようなんですが、それらに専念するのはシュレンプのスタイルじゃないんです。シュレンプの良さはオフェンスなんですよね。

ペイサーズはオフェンス志向のチームを目指しており、ウォルシュはそれにフィットすると踏んだようで、それは当たったようです(シュレンプの本領発揮はまだまだこれからですが)。


キングスでは起用法が安定せず、年明け以降は出場機会も減っていたウィットマンですが、ペイサーズ加入後はバックアップとしてコンスタントに活躍。ミラー欠場中はスターティングSGとして、2桁得点を連発するなどホークス時代のようなプレイをみせました。まだ29歳、やれます!


↓故郷に戻ってきて元気な姿を見せました


【PGは大丈夫?】


フロントはPGに満足していないようで、このシーズンはドラフトから10日間契約まで、「小粒なPGに手を付けてみる」というパターンがありました。


そんな中69試合でスターティングPGを務めたのはお馴染みフレミング。76試合で平均14.3点・4.1リバウンド・6.5アシスト・1.0スティールをマークしました。

スタッツ的には例年通り。加えて12月13日のホーネッツ戦ではトリプルダブルを達成するなど活躍もあったんですが、フロントはフレミングに見切りをつけようとしているとか、キングスのケニー・スミスやニックスのロッド・ストリックランドを獲得しようとしている、など評価は必ずしも芳しくないようでした。


バックアップのスコット・スカイルズはフレミング以上に微妙な立場にあり、実はオフのエクスパンション・ドラフトの際にプロテクトされず、しかもホーネッツからもヒートからも指名されず、ペイサーズに残ってしまった感がありました(プロテクトされなかったのはプレイが理由とは限らないけど)。

しかし、フレミングが足首の捻挫で離脱したときにスターティングPGとして起用されると、ここで意外な?活躍を見せます。スターターになって最初の8試合中6試合で2桁アシスト、3試合でダブルダブルをマークしたんですね(!)

残念ながらその勢いを継続することは出来ず、フレミング復帰後、数試合でベンチスタートに戻っちゃうんですが、一時は期待を抱かせるプレイぶりでした。80試合(うち13試合がスターター)で平均6.8点・4.9アシスト・FT成功率90.3%(リーグ3位)はバックアップとしては悪くありません。


因みにパーソンがキレた先述の12月20日のニックス戦後、フロントは次の試合でスカイルズをスターティングPGとして起用しようと考えていたようなんです。ところがスカイルズは、そのニックス戦後に友だちに「バスケットを辞めようと思う」と言い残し、一度チームを去ってしまうんです。

すぐに考え直してチームに合流するんですが、この一件でスターター起用のプランはなし・・・と思ったら今度はフレミングが負傷してしまい、結果的にスカイルズにチャンスが回ってきたのでした。


このシーズンのスカイルズは序盤のある練習中にロングと喧嘩になって殴られたり、年末のバックス戦ではジェイ・ハンフリーズと乱闘騒ぎを起こしたり、ちょっとお騒がせでした。


↓負け続けることにストレスが溜まっていた様子


【ローテーションに入れませんでした】


ルーキーのステファンズは35試合で平均6分しかプレイせず、スリーパーではありませんでした。目立ったのはホームのシクサーズ戦にロードのユニフォームを持ってきたというエピソードくらいでしょうか。

ドラフト外ルーキーのモートンはロングの復帰に伴って開幕から2週間ほどで解雇されており(モートン自身、ロング復帰時の処遇を懸念していた模様)、2月頭に10日間契約を結んだセドリック・トゥーニーも2試合しかもちませんでした。

モートンはこれ以降NBAではプレイしませんが、CBAで活躍します。


3度目の正直で念願のNBAデビューとなったフレデリックも蚊帳の外状態。トレード前もトレード後もペイサーズのFの層は厚かったんで、しゃーないですかね。ただ、ガーベイジタイムではそれなりに結果を残しており、開幕直後のキャブスに25点差で敗れた試合ではいきなり19点をあげていますw


↓「私は負けることを受け入れない」


30勝にも届かないシーズンでしたが、ミラーは成長を見せ、スミッツは即戦力として使えました。トレードは即効性があり、夏のドラフトではロッタリーピックがあります。将来が少し楽しみになってきました。


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【ピストンズの元ACたち】


このシーズンからシャーロット・ホーネッツ&マイアミ・ヒートがNBAに加わったんですが、ホーネッツの初代HCであるディック・ハーター、ヒートの初代HCであるロン・ロステインはともにピストンズでデイリーの元でACを務めていました(ハーターはピストンズの後、ペイサーズでもACやってましたが)。

ヴァーセイスと合わせて3人ともこれがNBAでのHCデビューでした。


3人ともHCとしては大きな成果を残せず、短命なんですが、やっぱり強いチームのACは他のチームがHCとして欲しがるんですよね(ピストンズはこのシーズン優勝します)。

因みにデイリーは、自分の下で働いた人が他のチームでHCになるのがイヤだったそうです。

蜜柑星

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大変ご無沙汰しています。


今みたら、最後の更新が去年の11月になっていました・・・

本当に今更なんですが、今年もよろしくお願いいたしますm(_ _ )m


最近はTBSで再放送してる高校教師を毎日録画してみてます。

初めてちゃんとみてるんですが、これすごいですね。

そして桜井幸子さんかわいい。


そんなワケで?更新のお知らせです。

また、なんでこのシーズン?みたいなチョイスですが、よかったら読んでやってください。


レイカーズ00~01カンファレンス・ファイナルペイサーズ88~89



Cleveland Cavaliers vol28-a

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騎97~98シーズン



キャブスは昨シーズンプレイオフに出られなかったことで、「強くも弱くもなく、人気もない」という三重苦に悩むチームとなってしまいました(僕の主観)。

しかし、そんなキャブスが一躍、リーグ全体を驚かせるんです…!


【まずはドラフト】


ドラフト1巡目第13位でデレック・アンダーソン、第16位でブレビン・ナイト、2巡目第44位でセドリック・ヘンダーソンを指名。


アンダーソンは6フィート5インチ・194ポンドとやや小柄なスウィングマン。オハイオ州立大で2年プレイしたのちケンタッキー大に編入、リック・ピティーノHCのもと、アントワン・ウォーカーらとともにプレイしました。

得点力があり、リバウンドも取れてパスも上手いオールラウンダーとして、一部ではロン・マーサー(大学のチームメイトで、この年のドラフト1巡目第6位でセルティックス入り)よりも高い評価を得ていました。

懸念は怪我。4年次に右膝の前十字靱帯を断裂しており、これがなければもう少し高い順位だったかもしれません。


ナイトは5フィート10インチ・173ポンドのPG。スタンフォード大の出身で、高校卒業時点では騒がれるような選手ではありませんでしたが、4年間で全米屈指のPGに成長しました。

96年夏に学生選抜の一員としてドリーム・チーム3と対戦したときには、タルサ大のシェー・シールズとともにNBAのスターたち苦しめました。


ヘンダーソンはメンフィス大出身のSF。恵まれた身体能力を持つアスリートで、カレッジ時代はそれを活かしたスティールやブロックなど、ディフェンスで活躍していました。

難点はオフェンスで、シュートエリアの狭さや不安定さが2巡目まで落ちた要因です。


因みに、去年のドラフトで指名したジドルナス・イルガウスカスは昨シーズン故障でプレイしなかったため、今シーズンのルーキー扱いとなります。


↓期待のロッタリーピック


↓スタンフォードvsウェイク・フォレスト


このオフ、キャブスは1000万ドル近いキャップの空きがあったんですが、FA戦線は絶不調。サラリーキャップに余裕があるにもかかわらず、声を掛けたFAにはことごとく振られ、逆にボビー・フィルズクリス・ミルズがチームを去りました。

また、テレル・ブランドンタイロン・ヒルもチームに不満を持っていると言われ、補強は前途多難。新シーズンのロスターの見通しが立たないまま、夏が終わりました。しかし・・・


【急転直下の9月】


遂にGMのウェイン・エンブリーが動きました。


・ブランドン&ヒル&98年のドラフト1巡目指名権をバックスに放出し、バックスからシャーマン・ダグラス、ソニックスからショーン・ケンプを獲得。

・バックスはビン・ベイカーをソニックスに放出。


ケンプはこの当時のNBAを代表するPFのひとり。昨シーズンまでのソニックスはゲーリー・ペイトンとケンプのチームでした。

不用意なファウルが多いなど荒削りな部分もありますが、その能力はリーグ・トップクラスで(と思う)、オールスターには4年連続ファン投票で出場している人気選手でもあります。


ただ、ケンプは昨シーズンの開幕前からソニックスのフロントに対して不満を表しており、昨シーズン終了直後から移籍の噂が絶えませんでした。ケンプの不満のひとつは年俸の低さ(ソニックスにいたら年俸360万ドル)。ソニックス側も契約を更改したかったようなんですが、サラリーキャップのルール上それは出来ませんでした。

キャブスは先述の通りお金に余裕はあり(だからこのトレードが成立した)、ケンプはこのトレードの陰で7年間1億ドル以上という破格の契約を手にします。


因みにこのトレード直後、キャブスはボブ・スーラと6年間の延長契約を締結。フィルズ&ミルズがともにチームを去ったので、それに代わる存在としてキープしておきたかったのかと思います。


【サンズ主導のトレード?】


・05年のドラフト1巡目指名権をサンズに放出し、サンズからウェズリー・パーソントニー・デュマスを獲得。

・ナゲッツはアントニオ・マクダイスをサンズに放出。

・サンズは98年のドラフト1巡目指名権&99年のドラフト1巡目指名権&00年のドラフト2巡目指名権&01年のドラフト1巡目指名権&02年のドラフト2巡目指名権をナゲッツに放出。


パーソンはキャリア3年の3Pシューター。3P成功率は40%を超えます。キャブスはオフの間にパーソンとも延長契約を結びます。

デュマスもキャリア3年のSG。マブス在籍時の2年目に予想外の活躍を見せましたが、昨シーズンは数合わせでトレードされるなどいいところがありませんでした。


【再建期に入ったから大物はいらない?】


ヘンリー・ジェームスミッチェル・バトラーと契約。

・ダグラス&00年のドラフト2巡目指名権をナゲッツに出して、グレッグ・グレアムを獲得。


ジェームスは32歳のジャーニーマンF。長らく10日間契約の常連でしたが、昨シーズンはホークスでシューターとして意外な存在感を見せました。

バトラーはキャリア4年のSG。シュートに難がありながら、バックアップとして生き残っています。


グレアムもキャリア4年のSG。元1巡目指名ながらリーグに生き残れるか怪しく、今回はこのオフ2回目のトレードです。このトレード時点で、右足の付け根を傷めていました。

ダグラスの方が実績は上ですが、チーム再建の構想に入ってなかったんですね。


キャブスのこれらの動きは、トレーニング・キャンプも差し迫った9月末に決まったモノばかり。どんなチームになるのか、ずっとわからない状態でした。

ルーキーとケンプと寄せ集めのベテランで構成されたキャブスの評価は低く、たいして注目もされませんでしたが・・・


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フラテロHCは開幕3試合の試行錯誤で方針を決めました。


当初は[スーラ、アンダーソン、パーソン、ケンプ、フェリー]というラインナップで考えていたようなんですが、3試合目からイルガウスカス、4試合目からナイトをスターターに固定。ルーキーが3人並ぶ、大胆なスターターが出来上がりました。


スターターの決まったキャブスは直後に王者ブルズを(フルメンバーでなかったとはいえ)21点差で撃破し、11月の末~12月にかけてなんと10連勝をマークしました。

好調の要因はルーキー4人の活躍。特にイルガウスカスは1年待った甲斐があるプレイぶりで、また、2巡目指名のヘンダーソンがスターティングSFとして使える選手だったのはサプライズでした(詳細後述)。10連勝はヘンダーソンがスターターになってからスタートしました。


2月は調子が落ち、一時は貯金が3つまで減ってしまいますが、3月半ばごろからまた復調。4連勝と5連勝をマークするなどペースを上げ、2シーズン振りのプレイオフ進出を決めました。

最終成績は47勝35敗。弱いチームに負けることもあるけど、ツボにはまると優勝候補クラスの強豪を圧倒することもありました。ブルズやジャズに勝ってるのは◎です。


今シーズンのキャブスも基本的にはディフェンシブ。平均92.5点はリーグ23位、平均89.8失点はリーグ4位で、まったく新しいロスターになったとはいえ、根本的にはあまり変わりませんでした。こうなってくるとフラテロのスタイルてことですかね。

大きく変わったのはTOの多さ。ケンプとルーキー4人のお陰か、TO数はリーグ最多をマークしてしまいましたw


【トレードは成功?】


ケンプは80試合で平均18.0点・9.3リバウンド・1.4スティール・1.1ブロック・3.4TO・3.9ファウル・FG成功率44.5%。スタッツ的には、諸々の事情で精彩を欠いた昨シーズンを更に下回る出来となりました。

ミスの多さ&ファウルの多さは相変わらずで(ファウルアウトはキャリアワーストの15試合)、FG成功率は初めて45%を下回り、リバウンドのアベレージは6シーズンぶりに2桁に届きませんでした。オールスターにはファン投票で選ばれますが、トレード相手のベイカーに比べるとパフォーマンスは不安定でした。ルーキー・カルテットの活躍がなく、チームも低迷していたら、かなり叩かれていたような気がします。


ソニックスにいた昨シーズンはアルコールの問題があるなんて話もあり、このシーズンはオーバーウェイトぽかったんですが・・・


↓もっとやれるハズでは?


パーソンは全82試合でスターターを務め、平均14.7点・FG成功率46.0%・3P成功率43.0%(192/447)をマーク。3Pは成功率がリーグ7位、成功数・試投数はともにリーグ1位でした♪

運動能力がないためかSFとしてはイマイチでしたが、SG(シューター)としては大活躍。キャリア初のプレイヤー・オブ・ザ・ウィークも受賞するなど、個人としてはキャリア最高のシーズンでした。

オールスター・ウィークエンドでは、この年初めて開催された2Ballというイベントに出場しています(3Pコンテストには何故か出てませんw)。


↓キャリアハイの33点を2度マーク


【ルーキー・カルテット☆】


エンブリーのドラフトは見事でした☆


イルガウスカスは82試合(うち81試合がスターター)で、平均13.9点・8.8リバウンド・1.8ブロック・FG成功率51.8%・FT成功率76.2%をマーク。オール・ルーキー1stチームに選出され、ルーキー・オールスターでは18点・7リバウンドをあげてMVPも受賞しました(アメリカ国籍以外の選手としては史上初!)。

パワーがあるワケではないけど、巧さと高さでインサイドでアドバンテージを握ることが出来ました。自分で攻めることも合わせることも両方いけます。このシーズンはニックスのパトリック・ユーイングが怪我で長期離脱を強いられたので、このシーズンイースト最高のCでした。


アルビダス・サボニスとはまた違うタイプです


ナイトは80試合(76試合がスターター)で平均9.0点・8.2アシスト(リーグ8位)・2.5スティール(リーグ2位)・2.4TO。ルーキーらしからぬゲームメイクと、持ち前のスピード&クイックネスで相手を悩ませる存在となり、イルガウスカスと一緒にオール・ルーキー1stチーム入り。もちろんルーキー・オールスターにも選ばれています。

サイズの小ささとシュートエリアの狭さ(3Pは7本打って成功なし)が難点ですが、PGとしての仕事はお見事。ミスの少なさも良い感じでした。


ヘンダーソンは全82試合に出場し、うち71試合でスターターを務め、平均10.1点・4.0リバウンド・1.2スティールと(2巡目指名ルーキーとしては)文句なしのルーキーシーズンを過ごしました。ルーキー・オールスターはもちろん、オール・ルーキー2ndチームに選ばれています。

アウトサイド・シュートはやはりダメでしたが(3Pは4本打って成功なし)、スピードがあって動きが良く、例えば速攻のフィニッシャーとしてはまずまず。若返ったチームに上手くフィットしました。ケンプは「自分自身を思い出す」とし、アンダーソンは「マーサーを思い出す」とするなど、評価は上々です。


4人の中でいちばん苦戦したのはアンダーソン。最初の10試合はスターターでしたが、その後ベンチへ。12月&1月はベンチの得点源として良いプレイを見せていましたが、右膝の靱帯を傷めて2月を休むと、復帰後はムラが目立ちました。

場合によってはPG的な役割もこなせる器用さを見せ、FT成功率87.3%もリーグ4位の好成績でしたが、66試合(13試合がスターター)で平均11.7点・FG成功率40.8%・3P成功率20.2%は心許ない数字です。ルーキー・オールスターのメンバーとオール・ルーキー2ndチームに選出されましたが、オールスターは怪我のために欠場しました。


1チームから一度に4人のルーキーがルーキー・オールスターに選出されたのは史上初の出来事です。


↓シーズンハイは20アシスト


↓82試合に出たルーキーは他にZとティム・ダンカンだけ


↓シーズンハイはそれぞれ30点、14アシスト


【層は薄いです】


スーラはプレシーズンで左足首を傷め、その影響か開幕早々に長期離脱を強いられることになりました。

開幕時はスターティングPGだったんですが3試合でスタメン落ち。長期欠場を挟んで1月末に復帰したときにはチームがケンプ&ルーキー・カルテットで盛り上がっており?、過去2シーズンと変わらないベンチ・スタートとなりました。

46試合しか出られず、スタッツは軒並みダウン。シュートの成功率は惨憺たるモノ(FG成功率37.7%・FT成功率56.5%)でした。層の薄いこのチームは複数のポジションをカバーできる貴重な控えでしたが。


マーク・プライス時代から唯一の生き残りとなったダニー・フェリーは、新しくなったチームで役割が大きく縮小。ドラフト指名順位の期待に応えられなかった若手時代を下回る、キャリア最低のシーズンとなりました。右膝を傷め、2月末から1ヶ月ほど(13試合)欠場しています。

ポジション的にはケンプのバックアップなんですが、プレイスタイル的にケンプのバックアップにはなりません。

そのため、フロントコートのローテーションはケンプ&イルガウスカスとビタリー・ポタペンコで回すのがベストな布陣でした(たぶん)。


ポタペンコは80試合すべてベンチからの出場で平均7.1点・3.9リバウンド。スタッツはルーキーシーズンからやや伸びたくらいですが、3月にチームが調子をあげたときには良いプレイを見せていました。

実質唯一のイルガウスカスのバックアップで、また、ケンプがよくファウル・トラブルに陥るため、PFとCを両方こなせるポタペンコの存在は重要です。


昨シーズンからの数少ない生き残り、ショウネル・スコットは、出場機会は少ないながらも41試合に出場。ほんの少し成長を見せましたw

新加入のジェームスは28試合に出たのみ。出場機会は少なく、シーズン終盤は糖尿病の治療?のため、故障者リストに入りました。また、バトラーは背中の故障で12月の頭でシーズンを終えています。


【あまり動きませんでした】


・12月頭にグレアムを解雇し、直後にスコット・ブルックスと契約。

・1月末にデュマスを解雇し、直後にカール・トーマスと契約。


昨シーズンニックスにいたブルックスは、オフに再契約を結ぶも、直後にセルティックスにトレードで放出され、開幕直前に解雇されていました。11年目のベテランPGで、予想外に勝っているチームに若手の指南役が欲しかったのかもしれません。プレイングタイムは多くなかったけど堅実なプレイで貢献しました。

MSGでは歓声を浴びるなど、尊敬されるベテランです。

故障で開幕が遅れたグレアムは6試合しかプレイしませんでした。


デュマスはトレード時点で右膝を負傷しており、年明けに復帰したばかりでした。スーラの復帰を受けての解雇です。

トーマスは昨シーズンもキャブスにいたあのトーマス。今シーズンはウォリアーズ→マジック→ウォリアーズと渡り歩いていました。キャブスではシーズン終了まで生き残ります。


↓NBAでプレイするのはこれが最後です


まだまだ完成したとは言い難いですが、たった1年で見違えるようなチームになりました。若返りに成功しただけでなく、プレイオフに返り咲けたのは見事です。

エンブリーはエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。

悲愴vs英雄


火星に行こう!

楷書の手紙

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明日は友人の結婚式で、明後日はオケの本番という今日この頃、更新のお知らせです。


かなり前から細々書いていたんですが、ネタが散在しているシリーズで、まとめるのが面倒になってサボってました。もしもよかったら!


91プレイオフ~ブルズvsピストンズ~



おぺろからしりん

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シーズン予想順位の答え合わせ。すっかり忘れてました。

今更ですが一応・・・


●イースト

1位 ブルズ(ホークス)

2位 キャブス(キャブス)

3位 ネッツ(ブルズ)

4位 ウィザーズ(ラプターズ)

5位 ラプターズ(ウィザーズ)

6位 ピストンズ(バックス)

7位 ホークス(セルティックス)

8位 ニックス(ネッツ)


9位 ペイサーズ(ペイサーズ)

10位 セルティックス(ヒート)

11位 ホーネッツ(ホーネッツ)

12位 ヒート(ピストンズ)

13位 バックス(マジック)

14位 マジック(シクサーズ)

15位 シクサーズ(ニックス)


完全に予想外だったのはホークスとニックス。あとはバックスも意外でした。ペイサーズ&ヒート&ホーネッツのプレイオフ不進出が当たったのは嬉しいです。


●ウェスト

1位 クリッパーズ(ウォリアーズ)

2位 スパーズ(ロケッツ)

3位 サンダー(クリッパーズ)

4位 ウォリアーズ(ブレイザーズ)

5位 マーベリックス(グリズリーズ)

6位 ブレイザーズ(スパーズ)

7位 グリズリーズ(マーベリックス)

8位 レイカーズ(ペリカンズ)


9位 ナゲッツ(サンダー)

10位 サンズ(サンズ)

11位 ロケッツ(ジャズ)

12位 ペリカンズ(ナゲッツ)

13位 ウルブズ(キングス)

14位 キングス(レイカーズ)

15位 ジャズ(ウルブズ)


毎年ですがウェストは難しいです。まったく当たりませんw

レイカーズは、ファン心理で超期待をこめたので外れていいんですがw、ロケッツとサンダーは予想外でした。ロケッツはドワイトくんがチームの中心にいるというのを懐疑的に見ていたんですが、彼がいなくても良いチームなんですよね。あと、ジャズとウルブズも意外でした。ジャズは今季ほぼ試合を見なかったチームなんですが、ゴベールいいですね。ウルブズは怪我がありましたが、勿体ないチームだなと思います。

平成2年ドラフト組①

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NBAヒストリーとかやるより前に、たまになんとなく書き連ねてたのがUSBに残っていたので、なんとなくブログに起こしてみました。95年の冬からNBAを見始めた自分の、選手メモ?のようなものです。

アップするほどのモノでもない気はかなりしてますが笑、ただ消すのも自分的に気がひけたので。




テリー・ミルズ


(たぶん)キャリア序盤と終盤で外見やプレースタイルが大きく違う選手のひとり。キャリア終盤は完全にシューターだった。巨漢でスピードがおち、シュート力と上背があることから自分の中ではサム・パーキンスとキャラが被っていた。グラント・ヒルがゲームをコントロールし、ミルズ、リンジー・ハンター、ジョー・デュマースが3Pを決めていた頃のピストンズは面白かった。ヒートに行ったのはミルズの希望にしろヒートからのオファーにしろミスチョイスだと思う。


ディー・ブラウン


デビュー当初はかなり期待されていたみたいだけど、自分が見始めた95年頃は影が薄かった。デビッド・ウェズリーやディナ・バロスの存在、ML・カーの起用が影響してたかな。純粋なPGではないけど、シャーマン・ダグラスよりはマシだと思う。キャリア終盤に在籍したラプターズではシューターとして活躍しており、スラムダンク・コンテストで優勝した選手がのちにシューターとして開花する前例をつくった(嘘)。故障のため、マジックでは何も出来なかったのが残念。


カール・ヘレーラ


トリニダード・トバゴ出身。94・95年とロケッツが連覇したときのメンバー。ただ、少なくとも95年のプレイオフではオーティス・ソープがいなくなったにもかかわらずあまり出番がなかった。スパーズ時代は、怪我人が続出した96~97シーズンに10日間契約組とは違う存在感を多少見せたが、主力が戻ってくると出場機会はなかった。グリズリーズとナゲッツでも単発でプレイしたが、記録も記憶もほとんど残っていない。頬骨?鼻骨?を骨折したときのシルバーのフェイスガードがいちばん印象的。


トニー・スミス


同期入団のエルデン・キャンベルとともにジェリー・ウェストGMがドラフトで下位順位から発掘してきた好選手、的な扱いを受けていたG。レイカーズでは5シーズン過ごした。ただ95年にサンズに移籍すると1シーズンもたずにヒートへ放出され(しかも2巡目指名ルーキーとのトレード)、翌シーズンにホーネッツでプレイしたのが実質的には最後の活躍となった。ディフェンシブなGと言われていたが、相手チームのエース級を抑えるほどではない印象。


ロイ・ボート


上記のミルズは大学時代のチームメイト。同じポジションにダニー・マニングとチャールズ・スミスがいたにもかかわらず、(彼らの故障や移籍もあったけど)地道にチャンスを掴んだビッグマン。派手さはないモノの評価は高く、スター選手がいなくなった95~97年頃はチームの最重要選手的扱いだった。しかし、97~98シーズンを故障で棒に振ると一気にプレイの質が落ち、二度と輝きを見せることはなかった。キャリア晩年はピストンズ、マブス、ウィザーズなどを渡り歩いている。


デニス・スコット


90年代中頃を代表する3Pシューターのひとり。シャックがいたマジック時代がピークで、95~96シーズンにはシーズン267本、1試合11本という当時のNBA記録をつくった。シュートは抜群に上手いがスピードがない上に太り気味で、シャックというディフェンスをひきつけてくれる存在と離ればなれになってからは苦しんだ。シュートがいくら上手くてもそれだけで生き残るのは難しいという良い例。アトランタ・オリンピックの代表選考時にシャックに推薦されていたが、それはちょっとないだろう。


ライオネル・シモンズ


96年のプレイオフ1stラウンドのゲーム4で、この選手の活躍する姿を見られたのは、今思うとラッキーだった。ルーキーシーズンは新人王の投票で次点だったが、リッチモンドに次ぐ核となれなかったことを踏まえると、弱小チーム故の活躍だったのかとも想像。若手の加入や故障などあったかもしれないが、チームが強くなるにつれて役割が減少していったのは皮肉である。昔はレジー・ウィリアムスと似た立ち位置の選手だなと思っていたが、今になるとそうでもないかな。


フェルトン・スペンサー


見た目のインパクトが強いC。初期ウルブズのドラフト失敗指名のひとり。6位指名という期待に応えることはなかったが、ジャズ時代は地味ながら貢献度が高く、94~95シーズンに故障で戦線離脱したときには主力チームメイトから惜しまれていた。96年にシャックの後釜Cを探すマジックに振り回されてウォリアーズに移籍してからは本当に目立たず、スパーズ、ニックスと移籍してキャリアを終えた。強いチームで脇役として活きるタイプかもしれない。


グレッグ・フォスター


2巡目指名ながら意外と息の長いキャリアを送ったC。ハイライトは95年から在籍したジャズ時代で、97年のファイナルゲーム3ではブルズ相手に大活躍を見せ、かつて自分をクビにしたチームに意地を見せた(ブルズ在籍時、まずまずの成績を残していたのにカットされたことがある)。01年にはレイカーズで優勝を経験しているがほぼ戦力外。ミドルレンジのジャンパーが得意で、動きもよく、いいときは流れを変えてくれる。難点は安定感とパワーがないのと、熱くなりやすいところ。

平成2年ドラフト組②

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ドラフト組って書いてますが、ドラフト外選手もいます。悪しからずw



タイロン・ヒル


ブルーカラータイプのPF。チーム事情によってはCを務めることもあった。93年から在籍したキャブスで開花し、95年にはオールスターにも選ばれたが、その翌年は交通事故で長期欠場を強いられ、ダニー・フェリーに活躍の場を与えてしまった。97年にはショーン・ケンプを絡めた△トレードでバックス、98~99シーズン途中にはシクサーズへ移籍。シクサーズが01年にファイナルに進んだときはスターティングPFを務めたが、安定感がなく、充分な貢献が出来たとは言い難い。故障が多かった。

BSの某解説者はかつて、ヒルのことを「本当にFTが下手」と言って笑っていたが、何故この選手のFTがそんなに引っ掛かったのかは疑問(たしかに上手くはないが)。


ビンボ・コールズ


ソウル・オリンピックの代表に選ばれたPG。スターターとしては物足りないが、バックアップとしては及第点。パット・ライリーがHC兼GMに就任した95~96シーズン、ライリーも認める成長を見せたが、やはり物足りなかったようでティム・ハーダウェイとトレードでウォリアーズに放出された。ウォリアーズ時代は故障が多く、次に在籍したホークスでは純粋なPGがコールズだけという酷な環境に置かれた(ジェイソン・テリーはいたが)。最後はヒートに戻って引退。

「ビンボ」はカントリー・ミュージックに因んで従兄弟がつけたニックネームで本名はバーネル。90年にはMLBのエンゼルスからも指名を受けている。


スコット・ウィリアムス


ドラフト外C。ブルズが最初に3連覇を達成したときのメンバーで、特に92年のファイナルでは大事な時間で起用されることも多かった。94年に活躍の場を求めてシクサーズに移籍するが、故障などもあって思うように力を発揮できず、99年にバックスへトレードされた。バックスに移籍して以降は行く先々のチームでベテランらしく渋く貢献し、最後はプロ2年目のレブロンと一緒にプレイした。史上2人しかいないジョーダン&レブロンとプレイした選手でもある。

ミドルレンジのジャンパーとハッスルプレイが売り。ジョーダンがポストアップのときに一度体を後ろに倒して相手との間合いをとる方法は、ウィリアムスがやっていたのをジョーダンが真似たとか。「今日は俺とマイケルで55点も入れたぜ(ジョーダン54点)」


マッムード・アブドゥル-ラウーフ(クリス・ジャクソン)


敬虔なイスラム教徒のG。先天的にトゥレット症候群という疾患を患っていた。90年代のナゲッツを代表する選手のひとりで、94年のプレイオフ1stラウンドでは、ディケンベ・ムトンボらと共に第1シードのソニックスを破る立役者となった。しかし、95~96シーズンに(イスラム教の信仰から)試合前の国旗掲揚・国歌斉唱のセレモニーに参列することを拒否し、それに対してNBAが処分を下すと、様々な議論を含む騒動となってしまい、ラウーフのキャリアは一変してしまう。

96年のオフにナゲッツはラウーフをキングスへ放出。キングスはPGを必要としていたがエースのミッチ・リッチモンドとプレイスタイルが合わず、98年にはトルコへ渡り、99年に引退。その後、シャリーフ・アブドゥル-ラヒムとの交流などから00~01シーズンに突如グリズリーズで現役復帰し、ベンチスタートながらかつてのテクニックを垣間見せた。NBAでプレイしたのはそれが最後だが、その後も引退・復帰を繰り返しながらイタリア、ギリシャ、日本でもプレイしている。

抜群にシュートが上手く、FT成功率は(規定数に足りていないが)歴代で見ても有数。最盛期は一度当たると手が付けられないスコアラーでもあった。スピードがあり、ハンドリングも素晴らしかった。


デュアン・コーズウェル


テンプル大出身の7フッター。武器はブロックショットのみだが、プロ入り当初はオフェンスでもそこそこの数字を残していた。93~94シーズンの途中に一度放出されかかるも、そのトレードが破談になり、更に3シーズン半キングスにいた。当時はオールデン・ポリニスとツインタワーを形成することも少なくなかった。97年からはヒートでプレイ。アイザック・オースティンが移籍した後はほぼ唯一の控えビッグマンとなったが、それでも出場機会は限られていた。01年に現役を引退。


スティーブ・シェフラー


ほとんど取り柄のないCだが、ソニックスはこの選手を5シーズンもキープした。ただ、レア度の高さと賢明にプレイするスタイルは地元ファンの受けがよく、キーアリーナでコートに立つときは暖かく迎えられることが多かった。96年のファイナルでジョージ・カールは、このシェフラー人気を、ブルズに追い打ちを掛けたい場面で利用していた。ソニックス以外のチームでは短命だった。カレッジ時代、プロ入り後通じて、規定本数には達していないモノのFG成功率は高確率。


ウィリー・バートン


88・89年とドラフトで結果を残してきたヒートにとって初の失敗指名。得点力はあり、悪い選手ではないが、1巡目第9位には見合わなかった。ヒートでは充分な出場機会を確保できず、故障があった上に問題行動も目立つようになって解雇。94~95シーズンはシクサーズで1試合平均15点以上・古巣ヒート戦で53点をマークするなど予想外の活躍を見せるが、翌シーズンはNBAでプレイできなかった。ホークス、スパーズ、ホーネッツでも少しずつプレイしている。


セドリック・セバロス


90年ドラフト2巡目指名の出世株。デビューはサンズ。チャールズ・バークリー獲得のためにジェフ・ホーナセックらが去った3年目から出場機会が増え、そのシーズンはFG成功率でリーグ1位に輝いている(SFがこの部門で1位になるのは珍しい)。94年にレイカーズに移籍するといきなりチームの得点王となり、オールスターにも選ばれた(故障でプレイできなかったが)。しかし翌シーズンはマジック・ジョンソンの現役復帰で出場機会が減り、シーズン終盤には(確かな因果関係は不明だが)失踪騒ぎを起こした。

96年、シャックの加入で役割は更に減少し、トレードでサンズへ出戻り。翌シーズンの途中には更にマブスに移った。00年まで在籍したマブス時代が戦力として機能していた最後。海外でも現役生活を少し続けている。3Pを除けばオフェンスのバリエーションが豊富で、短時間で2桁得点を稼げるスコアラー。ただ、エースになれるタイプではない。92年のスラムダンク・コンテストでは黒い布で目を隠すダンクで優勝している。あだ名は「フォーカス・ポーカス」。プレシーズン・ゲームが好きだそう。


ルミール・ロビンソン


ジャマイカ出身のPGでミシガン大時代はスター。89年のNCAAチャンピオンに大きく貢献している。1巡目10位でホークス入りし、2年目にはスターティングPGへ昇格。3年目はネッツでケニー・アンダーソンの控えを務めた。しかし4年目の序盤にホーネッツへ移籍してからキャリアは暗転。翌シーズンはスペインでプレイし、95年にNBA復帰を果たすが、翌96~97シーズンがNBA最後のシーズンとなった。PGとしては屈強な体をしているが、FTを含めシュートがいまひとつ。

平成2年ドラフト組③

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因みにこの元ネタ、有名なスター選手でもいなかったりします。

数年前の自分はなんでゲーリー・ペイトンを省いたんだろう・・・(たぶん書くことありすぎてまとめるの大変だったからなんですがw)



トニー・クーコッチ


クロアチア出身。6フィート10インチのFで、フィジカル面はあまり強くないが、一応ほぼすべてのポジションをこなせる多彩さがあった。パスセンスも見事で、ヨーロッパでプレイしていたときは「ホワイト・マジック」とも呼ばれていたとか。ブルズのジェリー・クラウスGMが惚れ込んで2巡目で指名したが、NBAに来るのはその3年後で、クーコッチがブルズと契約した直後にマイケル・ジョーダンが(一度目の)引退を発表、涙ぐんだという。

NBAでの1年目はスコッティ・ピッペンとの確執や△オフェンスへの順応に苦戦。ただ、それなりの結果も残しており、ニックスとのカンファレンス・セミファイナルのゲーム4でチームを勝利に導くブザービーターを決めたのは有名である(ピッペンがコートに立つのを拒否したのはもっと有名だが)。2年目はスターターに定着し、ピッペンに次ぐ存在となるが、96~98年は主に6マンとして大活躍。96年には6マン賞を受賞しており、96~98年の2度目の3連覇に貢献した。

98年オフにフィル・ジャクソン、ジョーダンらがチームを去り、再建期に突入するとクーコッチは一気にエースへ。しかし翌シーズンの半ばには自身もシクサーズへと放出された。シクサーズではアイバーソンとのコンビが期待されたがフィットせず、翌シーズン途中にはディケンベ・ムトンボとのトレードでホークスへ移籍。シーズンの残りは暫定エースとして孤軍奮闘した。02~06年はバックスでプレイ。衰えを見せながらも貴重なロールプレイヤーであった。

長所は多彩なオフェンスでドライブから3Pまで何でもあり。ボールハンドリングも良く、クラッチタイムにも強かった。難点はディフェンス。06年オフには家族の近く(ブルズかバックス)でプレイすることにこだわり、結果的に引退を選択した。バルセロナ・オリンピックの銀メダリスト。


キース・アスキンス


ドラフト外スウィングマン。ドラフト外ながら、引退するまでの9シーズンすべてをヒート一筋で過ごした。95年にパット・ライリーがHC兼GMとなった際にそのディフェンスと3Pを評価され、シーズン通してロスター大改造が行われる中、生き残った。当時、ライリーは「スタークスのような選手に育てたい」としていた。しかし、チームが強豪になるに連れて出場機会は減少し、99年オフには解雇。そのままACとなった。ACとしてベンチにいるときは蝶ネクタイがトレードマークとなっていた(僕の中では)。


デレック・ストロング


ゼイビア大出身のPF。92~94年に在籍したバックスでバックアップとしては戦力になることを示し、その後、セルティックス、レイカーズ、マジック、クリッパーズでプレイした。4シーズン過ごしたマジックでは、前半2シーズンはホーレス・グラントの控えを補って余りある活躍を見せていた。クリッパーズではほぼ出番なし。引退後はオートレーサーに転向し、06年にデビュー。車にはNBA時代からのニックネーム「ビッグD」がペイントされているそう。


マット・ブラード


6フィート10インチの長身シューター。SFとしてもPFとしても難があり、アウトサイド・シュートが唯一の武器だったが、それで02年まで現役を続けられたのだからたいしたもの。キャリアの大半をロケッツでプレイしており、94年の優勝メンバーでもある(95年はギリシャでプレイしていた)。動きはスローでシュート・モーションも遅いが、精度は高く、フリーにしてはいけない選手。ヒューストンのファンは「エア・ブラード」というニックネームをつけている。


ケビン・プリチャード


88年のカンザス大優勝メンバー。当時はダニー・マニングとチームメイトで、HCはラリー・ブラウンだった。ただ、プロではまったく結果を残せず、海外のクラブチームや外部リーグを含めあちこちを渡り歩いた。95年にはエクスパンション・チームのグリズリーズと契約を結び、同チームが史上初めて契約した選手となったが、開幕前に解雇されている。引退後はブレイザーズのフロント入りし、04~05シーズンにはモーリス・チークスの解任を受けて暫定HCを務めた。

07年からはGMに就任。グレッグ・オデンを1巡目第1位で指名し、ニコラス・バトゥム、ルディ・フェルナンデス、ジェリド・ベイレス、アンドレ・ミラーらを獲得し、期待値の高いチームをつくりあげた。


ストイコ・ブランコビッチ


クロアチア出身のC。クーコッチとは違ってすぐにNBAに来て、90~92をセルティックス、96をウルブズ、97~99をクリッパーズでプレイした。96年にはギリシャのパナシナイコスでプレイしており、決勝の大事な試合で相手がブザーと同時に放ったシュートをブロックして、優勝に貢献した。当時はドミニク・ウィルキンスとチームメイトであった。88年のソウル・オリンピックの銀メダリスト(ユーゴスラビア代表)、92年のバルセロナ・オリンピックの銀メダリスト(クロアチア代表)でもある。

売りはブロックショット。同郷のスーパースター、故ドラゼン・ペトロビッチと親しかったとのこと。


ケンドール・ギル


6フィート5インチのSG。イリノイ大出身で当時はニック・アンダーソン、マーカス・リバティらと共に「フライング・イリノイ」と呼ばれていた。1巡目第5位でホーネッツ入りすると、レックス・チャップマンからポジションを奪い、翌年には早くも平均20点をオーバーした。しかしその年にラリー・ジョンソン、翌年にアロンゾ・モーニングが加入するなどチームにメンバーが揃い、「フューチャーブルズ」と呼ばれるようになると、逆にギルの役割は縮小してしまう。

この状況に不満を感じたギルは、尊敬するマイケル・ジョーダンに「優勝するには君の力が必要だ。君はこのチーム(ホーネッツ)に残った方がいい」とアドバイスをもらうが、93年にソニックスへの移籍が決まった。しかしソニックスにもゲーリー・ペイトン、ショーン・ケンプらがいたために状況は改善されず、それどころかジョージ・カールと合わなかったり鬱病の噂が流れたりするなど状況は悪化した。2シーズン過ごしてホーネッツに再トレードされ、迎えた95~96シーズン中には更にネッツへ放出される。

ネッツで初のフルシーズンとなった96~97シーズンが、個人成績としては最高のシーズン。ネッツでもサム・キャセール、ケリー・キトルズらが続々と加入してオフェンスでの影は薄くなるが、98~99シーズンにはスティール王に輝くなどディフェンスで存在感を見せることもあった(NBAタイ記録となる1試合11スティールもマーク)。04~05シーズン途中でバックスから解雇されたのを最後に現役を引退した。引退後はボクサーに転向(いつまでどの程度やっていたかは不明)。

ジャンプショットが不安定で、特にアウトサイド・シュートが難点だったが、それ以外は攻守にバランスの取れた好選手。キャリア序盤はチーム事情からPGとして起用されることもあった。SGとしては理想的?な体格をしており、身体能力も高い。髪型を変えたり金髪にしたりするなどお洒落な一面もある。背番号13を着用することが多かったが、それは伯母がつけていた背番号に肖っている。


アレック・ケスラー


ジョージア大出身のビッグマン。ドラフト1巡目第12位でロケッツに指名され、直後にヒートへトレード。ドラフト時の期待に応えることは一度もなく、94~95シーズンの開幕直前に解雇された。しかし、アカデミック・オール・アメリカンに選ばれるなど学業は優秀で、その後医学を勉強。99年に医学科を卒業し、整形外科医となった。スーパーファミコンの某ゲームでは、初期設定のロスターだとケスラーがスターティングPFとなっており、そのままヒートを使うと痛い目を見る。07年、ピックアップゲーム中に他界。


ケニー・ウィリアムス


6フィート9インチのFで2巡目第46位でペイサーズ入り。ルーキーシーズンにはスラムダンク・コンテストに出るもインパクトは残せず、NBAでは4シーズンしかプレイしなかった。ただ、高校時代はスーパースターでアロンゾ・モーニング、ショーン・ケンプらと同等の選手として考えられていた模様。ノースカロライナ大に勧誘されるも学業不振が理由でコミュニティ・カレッジへ。ここが分岐点だったかもしれない。00年代中頃まで主にイスラエルなどで現役を続けた。

平成2年ドラフト組④

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これで平成2年組はラスト。普段、西暦でしか年号を言わないので、元号で「今何年?」て聞かれると、いつもすごく困りますw




デリック・コールマン


この年の1巡目第1位指名。シラキュース大出身のサウスポーPF。素行の悪さが有名だが、能力は非常に高く、あるレポーターは「今まで見た中で最高のPF」と評し、チャック・デイリーも「基礎のしっかりした選手」とその実力を認めている。ネッツに入り、1年目はちゃんと新人王を獲得し、2年目には成績。期待に違わぬ活躍を見せたが、それと同時に練習をサボる、試合中でも手を抜く、チームメイトを批判する、などの悪評もついてまわった。

転機となったのは92年。名将デイリーがネッツのHCとなってメンタル面で落ち着き?、ケニー・アンダーソンとともにチームを牽引。2年連続でネッツはプレイオフに進出し、コールマンは94年にオールスター(キャリア唯一)とドリーム・チーム2のメンバーにも選ばれた。しかし、ドラゼン・ペトロビッチが他界し、デイリーやベテラン選手たちがチームを去るとネッツはドアマットに逆戻りし、コールマンも再びトラブルメイカーへ戻ってしまう。

デイリーの後任、ブッチ・ベアードはコールマンの怠慢さや規律に違反した行為を批判するが、コールマンはそれに反抗、事態は悪化した。例えば、最初のトレーニング・キャンプの際、ベアードが定めたドレス・コードをコールマンは無視。コールマンは規則に従うことよりも罰金を払うことを選んだ。また、この頃にはアンダーソンとの関係も良好ではなかったようである。95~96シーズンの開幕直後にはショーン・ブラッドリーとのトレードでシクサーズへ移籍。

移籍1年目は不整脈や故障で11試合の出場。97年のオフにラリー・ブラウンがHCに就任すると、「ブラウンの下ではプレイしたくない」と発言して周囲をヒヤヒヤさせた。98年にホーネッツに移籍してからは成績が一気に下降(恐らく起用法の影響もあるが)。00~01シーズンはコンディショニング不足などからポール・サイラスHCの信頼を失い、シーズン終了後にシクサーズへ放出された。シクサーズで3シーズン過ごし、04~05シーズンに5試合だけピストンズでプレイして解雇され、引退した。

キャリア終盤はロールプレイヤーになったが、つなぎ役としても良い働きを見せていた。素行の悪さはベテランになってからは多少落ち着いた感があるが、若い頃はオフコートでの問題も多く、レストランでテーブルに乗って放尿したと訴えられたり、ホーネッツ時代にエルドリッジ・リカスナーを乗せた車で事故を起こしたり(リカスナーのみ故障者リスト入り)、まさにトラブルメイカーだった。


ジャド・ブシュラー


2巡目指名のスウィングマン。アリゾナ大出身で当時はスティーブ・カーとチームメイトだった。ネッツ、スパーズと渡り歩き、ウォリアーズでキャリアハイのスタッツを残すが、恐らくいちばん有名なのはブルズ時代。プレイングタイムは10分そこそこだったが、精力的なプレイと意外性のある3Pでファンの人気者となった。当時は、ブシュラーが出てくると「それだけチームが勝っている」ということで、ファンも大喜びだったとか。98年にブルズを離れてからは3チームを転々とした。

シューターだがリリースが遅い独特のフォームで、精度も今ひとつ。ブルズ以外のチームではあまり貢献できなかった。しかし、そのブルズではフィル・ジャクソンのお気に入り選手のひとりで、マイケル・ジョーダンも「Mr.ファンダメンタル」というニックネームをつけた。97年のファイナル、ゲーム6の3Q終盤に決めた3Pは値千金だった。大学時代はバレーボールでオール・アメリカンに選ばれたこともある。


ドウェイン・シンサス


柔らかいシュートタッチの白人7フッター。フロリダ大時代は幾つか問題を抱えており、その1つが暴行事件であった。これはテニス・ラケットを持って車を襲ったとされる事件で、シンサスは出場停止処分を喰らった。復帰初戦のバンダービルト大戦では、試合終盤の大事な場面でバンダービルト大のファンがシンサスにテニスボールを投げつけてテクニカル・ファウルがコールされ、シンサスがFTを2本決めてオーバータイムまで縺れた(フロリダ大の逆転勝ち)。

こうした問題にもかかわらず将来を期待されていたようで、1巡目でスパーズが指名。しかし、翌オフにキングスに放出されるとシーズン途中に解雇され、92~95年はネッツで過ごした。98~99シーズン中にセルティックスを解雇され、キャリアを終えたかに見えたが、03年にUSBLで復帰を試みたとか。ネッツ時代の縁からか、ジェイソン・ウィリアムスの裁判で証言をしたことがある。また、96年に公開された映画『エディ』の中でロシア人プレイヤーを演じたことでも有名。


ヘンリー・ジェームス


シューター型SF。ドラフトにはかからず、90~91シーズン中にキャブスと契約を結んでデビューした。キャブスではまずまずのプレイを見せたが、92~96年はNBAと外部リーグを行ったり来たり、定着できなかった。スポットライトを浴びたのは96~97シーズン。SFの層が薄かったホークスに拾われると、1Qに3P7本成功という記録を作るなどシューターとして活躍した。ただ、良かったのはこのシーズンだけであった。フィリピンでもプレイ経験がある。

06年、クラック・コカインを売った罪で逮捕され、翌年には懲役5年の判決が言い渡された。


ラリー・ロビンソン


6フィート3インチの小柄なスウィングマン。ルイジアナ州にあるセンテナリー大の出身で、ロバート・パリッシュの後輩にあたる。ドラフト外でブレッツ入りし、なんと開幕からスターターとして起用されるが、すぐに解雇、シーズンの残りはウォリアーズで過ごした。翌シーズン以降はなかなかNBAに定着できず、93=94シーズンにロケッツで6試合だけプレイした後は、3シーズンNBAでプレイしていない。97~98シーズンにはグリズリーズでNBA復帰。

その後また2シーズンの間を空けて、00年にホークスと契約。シーズン途中にはキャブスにトレードされ、現役最後となった翌シーズンはニックスで過ごした。再建期に入っていたホークスが何故33歳のロビンソンに手を出したのかは疑問。


エルデン・キャンベル


クレムソン大出身のC。ドラフト1巡目第27位でレイカーズに入団。ルーキーイヤーは、シーズン中はあまり起用されなかったが、怪我人が続出したファイナルで出番を与えられて予想外の活躍を見せた。この頃はブラデ・ディバッツのバックアップだったが、AC・グリーンが移籍した93年からスターティングPFへシフト。デビューから毎年平均得点をアップさせるなど、更なる成長を見せた。しかし、96年にシャキール・オニールが加入すると、しばらくしてキャンベルはシャックから批判されるようになる。

シャックの意見は「相応しいPFじゃない」「覇気がない」といったもの。それらがシャックお得意の個人攻撃だとしても相性は微妙で、キャンベルが活躍するのはシャック不在時であった。そしてバックアップCとして97~98シーズンを過ごしたのち、98~99シーズン途中にホーネッツへと放出されてしまう。しかし、移籍したキャンベルは新天地でのびのびとプレイ。ともに移籍したエディ・ジョーンズとともにホーネッツの中心となり、低迷していたチームをプレイオフ進出手前というところまで建て直した。

ホーネッツではナチュラル・ポジションのCで活躍。アンソニー・メイスン、PJ・ブラウンらとリーグ屈指のフロントラインを形成し、ホーネッツはイーストの強豪となった。その後02~03シーズンはジャマール・マグロワにスターターの座を譲り、トレード期限にソニックスへ移籍。オフには更にピストンズへ移籍した。ピストンズでは念願のチャンピオン・リングを獲得。ファイナルでは仇敵シャックに対して見事なディフェンスを見せ、翌年のプレイオフでも(ヒートに移籍した)シャックを苦しめた。

オールスター出場経験がない中では最高のCのひとり。ゴール下でのムーブは多彩で、ミドルショットも決められる。品行方正な選手で、感情を出さずに黙々とプレイするタイプだが、一方で(特にキャリアの序盤は)努力をあまりしないなどと批判されることもあった。プレイオフで調子が落ちるのも難点。レイカーズ時代はよく批判されていたイメージがあるが、ジェリー・ウェストがドラフト下位から発掘した選手のひとり。プロ入りは6フィート11インチだったのが、その後7フィートを超えたとか。


ボー・キンブル


ハンク・ギャザーズとの友情で知られる選手。キンブルとギャザーズはフィラデルフィアの高校でチームメイトとしてプレイし、ともに活躍、サザン・カリフォルニア大に入学した。しかし、1年目を前にして2人をリクルートしてくれたうちの1人が解任されてしまい、2人は1年プレイしただけでロヨラ・メリーマウント大に編入する。86~87シーズンはNCAAの規定によりプレイできないが、87~88シーズンから2人は同大の中心となっていく。

当時のHCはポール・ウェストヘッド。この人は、1回のポゼッションでは10秒以内にシュートを打つなど、3Pを含め多くのシュートを打たせ、ディフェンスでもフルコートプレスを多用してアップダウンの激しいゲームに持ち込むなど、非常に速いスタイルを用いた。この頃の同大はNCAAの得点記録を保持しており、ディビジョンⅠの最高得点の試合のうち、上位5つを占めている。しかし、90年に行われたポートランド大戦で突然の訃報がチームを襲う。ギャザーズが亡くなったのである。

ギャザーズは心臓の病で倒れ、そのまま亡くなってしまった。同大はカンファレンスのトーナメントは出場を停止されたが、シーズンのチャンピオンだったためにNCAAトーナメント進出に値すると評価され、第11シードでトーナメントへ。この後、エリートエイトまで勝ち進んでいく中、キンブルはギャザーズのことを思って、最初のFTを左手で打つようになった(ギャザーズは右利きであったがFTが苦手で、しばらく左手で打とうとしていた)。

90年のドラフトでは1巡目第8位でクリッパーズ入りするが、プロではうまくいかず、おまけに故障にも泣かされた。2シーズン後のオフにニックスへ放出され、そこでは9試合しか出番がなかった。6フィート4インチとSGとしては小柄。キンブル入団当時のクリッパーズの本拠地は、サザン・カリフォルニア大と同じロサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナであった。


昭和59年ドラフト組①

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年がかわりました。豊作年です。



サム・ブゥイ


高校時代から注目されていたCで、80年には大学でまだプレイしていなかったにもかかわらずモスクワ・オリンピックの代表チーム選出された(アメリカはオリンピックをボイコットするが)。ケンタッキー大で3年過ごしてアーリー・エントリー。マイケル・ジョーダンのひとつ前、1巡目第2位でブレイザーズ入りしたのはあまりにも有名である。オール・ルーキー1stチームには選ばれるがジョーダンやアキーム・オラジュワンのインパクトには及ばず、2年目以降は故障に苦戦。

2年目・3年目は足して40試合ほどしかプレイできず、4年目は全休。5年目はシーズン終盤まで復帰できなかった。89年にバック・ウィリアムスとのトレードでネッツへ移籍。ネッツで過ごした4年間は比較的健康体で、ブゥイのピーク時と言えるかもしれない。93~95年をレイカーズでプレイして引退。ここでは再び故障に泣いた。翌95~96シーズン終盤、ブルズがブゥイの獲得を考えたようだが、結果的にジョン・サリーを獲得している。ブレイザーズ時代は4度に渡る故障を経験した。


ジョン・ストックトン


NBA史上最高のPGのひとり。総アシスト数&スティール数で歴代1位を誇る。ゴンザガ大出身で、指名されたときにブーイングが起こり、「ゴンザガ大のストックトンかストックトン大のゴンザガかわからない」と中傷されたという話は有名。プロ入り当初はリッキー・グリーンと出場機会を分け合っていたが、4年目からスターティングPGに定着。するといきなりアシスト王となり、そのまま9年連続アシスト王というNBA記録を樹立している。

80年代後半にジェリー・スローンがHCになると、ジャズは毎年のように50勝以上マークする強豪となった。97・98年にはファイナルにも進出。ともにブルズに敗れたが、フィル・ジャクソンは「彼が最高のPGと呼ばれるわけがわかった。理想的な選手だ」と賞賛している、この当時既に30代半ばだったストックトンはプレイングタイムを30分未満に抑えられていたが、それでもリーグ・トップ5に入るアシストを記録しており、03年に引退するまで目立った衰えを見せなかった(と思ってる)。

同一チームでの最多シーズン、最多試合出場の記録を持っており、総試合出場数はカリーム・アブドゥル-ジャバー、ロバート・パリッシュに次ぐ歴代3位。冒頭の通算アシスト数・スティール数は2位を大きく引き離している。怪我も少なく、97年に膝の故障で18試合の欠場を強いられるまで、4試合しか休んだことがなかった。1年後に入団したカール・マローンとのコンビは絶妙で、この2人のピック&ロールはNBA史に残るコンビプレイで、どのチームも完全には止めることが出来なかった。

シュートも上手く、PGながらFG成功率はほとんどのシーズンでFG成功率は50%以上。3Pも精度が高く勝負強さも兼ね備えていた。97年、ロケッツとのカンファレンス・ファイナル第6戦のラストで決めたブザービーターは、直後に跳び上がって喜ぶシーンと合わせて印象深い。93年には地元ソルトレイクで開催されたオールスターでマローンとMVPを同時受賞。92・96年にはドリーム・チームのメンバーとして金メダルを獲得している。オールNBAチーム、ディフェンシブ・チームの常連だった。

ユニフォームは引退するまで昔ながらの短パンで通し、私服も常に地味なシャツを着ていた(気がする)。ジャズのアリーナの前にはストックトンの銅像が立っている。


ジェフ・ターナー


バンダービルト大出身のF。84~87年をネッツ、2年のブランクを空け、89~96年までマジックでプレイした。マジックは94年にホーレス・グラントが加入するまでPFが穴だったために一定の出場機会を確保でき、グラント加入後もバックアップとして出番があった。95~96シーズンのトレード期限にグリズリーズに放出されるが、一試合もプレイせずにシーズンを終え、そのまま現役を引退した。82年の世界選手権で銅メダル、84年のロサンゼルス・オリンピックで金メダルを獲得。

シュートの上手いサウスポー。PFとしてはパワーがなく、SFとしてはスピードがなく、Cはムリ。


ケビン・ウィリス


7フッターのF/C。1巡目第11位でホークス入りし、ドミニク・ウィルキンスらと80年代ホークスの中心選手となった。88~89シーズンは故障で全休。この年のホークスはモーゼス・マローン&レジー・セウスを加えて士気が上がっていただけに悔やまれる離脱だった。大きなインパクトを残したのは91~92シーズン。この年は開幕からハイペースでリバウンドを取りまくり、キャリア唯一のオールスターにも出場。リバウンド王はデニス・ロドマンに奪われてしまったが、平均15.5リバウンドは見事だった。

ただ、チームとしては結果を残せないまま93~94シーズン半ばにドミニクがチームを去り、ウィリスも94~95シーズンの開幕直後にヒートへトレードされた。そして翌シーズンのトレード期限にはウォリアーズへ移籍し、そのオフには更にロケッツと契約を結んだ。当時のロケッツはチャールズ・バークリー獲得のために多くの選手を手放したために層が薄く、ウィリスは貴重な戦力であり、スターターとして起用されれば、35歳ながらホークス時代とほぼ変わらないスタッツを残していた。

98年オフにはラプターズへ移籍。チャールズ・オークリーとインサイド&ビンス・カーターを支え、00年にはチーム史上初のプレイオフ進出に貢献した。00~01シーズン途中にナゲッツへ放出され、01~02シーズンはロケッツに出戻り、02~03シーズンはスパーズでプレイ。ほぼ優勝争いと無縁のキャリアを過ごしていたウィリスも、ここで遂にリングを獲得した。素直に喜ぶウィリスを僕が見たのはこのときが最初で最後。このとき40歳であった。

翌シーズンもスパーズに残ると、04~05シーズンは古巣ホークスで、リーグ史上最高齢選手としてプレイした。翌シーズンはプレイせず、さすがに引退したかと思われたが、06~07シーズン終盤(07年4月2日)にマブスと10日間契約を結んで周囲を驚かせた。マブスではシーズン終盤の5試合で起用されており、NBAのシーズンで2試合以上プレイした史上最高齢選手となった(44歳)。因みにその後のプレイオフでは出場機会がなかった。

ウィリスの前に記録保持者はロバート・パリッシュで、96~97シーズンに43歳で43試合プレイ。また、48年にはプロビデンス・スティームローラーズでHCを務めていたナット・ヒッキーが、自分自身を選手登録し、46歳で1試合だけプレイしている。攻守に頼れるビッグマンで、オフェンスはフックからジャンプショットまでバリエーションが豊富だった。キャリア終盤はジャーニーマン化していたが、40歳近くまで第一線で戦えるレベルを保っていたのは見事である。

両肘に付けるサポーターがトレードマークで、ニックネームは自称「モー・タウン」だそうな。


レオン・ウッド


豊作と言われたこの年のドラフト、1巡目第10位でシクサーズ入り。同期入団のチャールズ・バークリーとは対照的に活躍できず、(NBAでは)ブレッツ→ネッツ→スパーズ→ホークス→ネッツ→キングスを渡り歩き、ドイツでも少しだけプレイした。84年のロサンゼルス・オリンピックではボビー・ナイトHCの元で金メダルを獲得。引退後にNBAのレフェリーとなったのが有名だが、バークリーら同世代選手たちからは、選手としての評価も悪くない。


トニー・キャンベル


1巡目第20位でピストンズに入団。控えとして3シーズン過ごした後、ブレッツに移籍するも87~88シーズン開幕直前に解雇されてしまう。転機となったのはそのシーズン終盤にレイカーズに加入してから。13試合の出場ながらFG成功率56%・平均11点と貢献すると翌シーズンも生き残り、89年オフにエクスパンション・ドラフトでウルブズに移籍すると平均20点を超えるチーム得点王として活躍した。92年オフにウルブズを離れてからは堅実な控えとしてプレイしている。


メルビン・ターピン


「メル」の愛称で親しまれた6フィート11インチのC。1巡目第6位でキャブス入りするも、プロ入り直後から体重の問題に苦戦。最初の2シーズンはまずまずだったが、3年目に低迷すると4年目はジャズへ移籍。5年目はスペインでプレイし、6年目をブレッツでプレイしたのを最後にNBAではプレイしなかった。そのコンディションの拙さから、愛称は「ディナー・ベル・ミル」「ミールマン」など。のちのインタビューでは「僕が現役の頃はビッグマンは細いものだと考えられてたんだ。時代が古かったんだ」と言ってたとか。

この年のドラフトの本当の失敗は、ブゥイではなくターピンだと思う。

昭和59年ドラフト組②

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マイケル・ジョーダンもチャールズ・バークリーもいないけど、この年はこれでおわりですw



オーティス・ソープ


1巡目第9位でカンザスシティ時代のキングス入りしたPF。3年目からスターターに定着し、4年目には平均20点・10リバウンドの大台をクリアした。88年オフにはロケッツへトレードで移籍。アキーム・オラジュワンを攻守に支え、92年にはオールスターにも選ばれた(4分しかプレイせず)。94年にはチーム史上初優勝に貢献している。しかし、翌シーズンの半ば、ロケッツはクライド・ドレクスラーを獲得するためにソープをブレイザーズへと放出した。

ソープを失ったロケッツはシーズン後半にペースを落とし、第6シードでプレイオフに臨むが、なんとそこから優勝して連覇を達成。一方、ブレイザーズは1stラウンドでサンズに破れ、ソープも存在感が薄かった。そしてオフにはピストンズへ移籍。若きグラント・ヒル率いるピストンズはインサイドが弱く、ソープはその穴を埋めるのに適任だった。しかし、次第にHCのダグ・コリンズと衝突するようになり、それが原因かは定かではないが97年オフ、グリズリーズへと放出されてしまう。

当初、バンクーバーでのプレイを拒否していたソープだったが、無事に開幕スターター入り。ただ、ドアマット・チームを浮上させるほどの効果はなく、シーズン後半には古巣キングスへとトレードされた。以降は、ウィザーズ、ヒート、ホーネッツで1シーズンずつプレイして現役を引退。カンザスシティ時代のキングスに在籍した選手で、最後に引退した選手である。30代半ばでスターティングPFとして戦えた、息の長い選手。30代半ばを過ぎても、しっかりした体を維持していた(ように見えた)。

所謂古典的なタイプのPFで、攻守に頼れる選手。オフェンスではピック&ロールの動きが上手く、また、ランニング・ゲームに参加できる機動力も持ち合わせていた。因みに、グリズリーズへトレードされた際、ピストンズが見返りに得たのが将来のドラフト1巡目指名権で、ピストンズは03年にその指名権でダルコ・ミリチッチを指名する。


リック・カーライル


メイン大で2年、ヴァージニア大で2年過ごし、4年次には同大のファイナル4進出に貢献。当時は共同キャプテンを務めた。しかし、選手としての評価は低く、ドラフト3巡目第70位でセルティックス入り。3シーズン過ごすも出番は超限定的で、その後ニックスとネッツでもプレイしたが、長続きはしなかった。選手としてのハイライトは、恐らく86年にセルティックスで優勝を経験したこと。このときのチームは、リーグ史に残る強豪のひとつである。

引退後はすぐにネッツACに就任。ビル・フィッチ、チャック・デイリーというベテランの名将の下で計5シーズンを過ごした。94~97年はブレイザーズでPJ・カーリシモのCAを務め、そして97年、かつてチームメイトだったラリー・バードがペイサーズのHCに就任したのに伴い、ACに就任。バードが辞任するまでの3シーズン、サポートした(バードはACをカーライル含め2人しか採用しなかった)。00年にバードが職を退く際、自分の後任にカーライルを推薦している。

しかし、GMのドニー・ウォルシュはアイザイア・トーマスを選択。代わりにカーライルは、翌年オフにピストンズのHCに就任した。1年前にグラント・ヒルを放出してから前評判の高くなかったピストンズだが、カーライルは就任1年目に50勝をマークしてコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞。翌シーズンも再び50勝をあげ、今度はカンファレンス・ファイナルまで導いた。ところが、ピストンズはそのオフ、カーライルを解任。後任にはベテランのラリー・ブラウンが雇われた。

カーライル解任の理由については選手の起用法などでフロントと揉めたのではないか?などと噂されたが、真偽の程は定かではない。そして、カーライルはこのオフ、HCとしてペイサーズに復帰する。ペイサーズはバードがフロントに入ってトーマスがHCを解任されたばかりであった。カーライル就任1年目のペイサーズはなんと61勝をマーク。プレイオフではカンファレンス・ファイナルで敗れたが、ジャーメイン・オニール&ロン・アーテストはオールスター選手となった。

レジー・ミラー最後のシーズンとなる翌シーズン、ペイサーズは前評判が良く、イーストを制するとも予想された。しかし、04年11月19日にパレス・オブ・オーバーン・ヒルズで行われたピストンズ戦の大乱闘がすべてを台無しにしてしまう。アーテストが残るシーズンすべてを出場停止となり、オニール&スティーブン・ジャクソンも長期出場停止が確定。無名の若手や忘れ去られたベテランを駆使して戦わざるを得ない状況となってしまう。第6シードをキープし、1stラウンドを突破したのは及第点だろう。

結局03~04シーズンをピークにペイサーズはアーテストの奇行とオニールの怪我に振り回されて下降線を辿り、06~07シーズンを最後にカーライルはペイサーズを去った。07~08シーズンはESPNで解説者となった。そして08年、マブスのHCに就任。マブスは10~11シーズンにNBAチャンピオンになった。個人的に、昔よりは起用法など柔軟になった印象。


サム・パーキンス


愛称は「ビッグ・スムース」。ノースカロライナ大でのNCAAチャンピオン&ロサンゼルス・オリンピックでの金メダルを引っさげて、1巡目第4位でマブス入り。若い頃は両Fをこなしたが、キャリアを経るごとにアウトサイド志向のCになっていった希有な選手である。1年目は約半分がベンチスタートだったがオール・ルーキー・チームに選出されており、それ以降、80年代マブスのコアメンバーのひとりとなった。90年オフにはレイカーズと契約し、カレッジ時代のチームメイトであるジェームス・ウォージーと再会。

チームはファイナルに進出し、シリーズには敗れたが、ゲーム1の終了間際に決めた逆転3Pは強烈なインパクトを残した。92~93シーズンの半ばにはソニックスへ。ソニックスでは6マン的な起用をされることが多かったが、試合の重要な場面ではコートに立つのはパーキンスだった。98年にはペイサーズと契約。00年のオフに一度引退を考えるが、同オフにHCに就任したアイザイア・トーマスに現役続行を勧められ、もう1シーズンだけプレイを続けた。

独特なフォームでシュートを打つ、サウスポーのシューター。ソニックス時代は毎シーズン100本前後の3Pを決めており、ノーミスで8本の3P成功というリーグタイ記録も持っている。キャリア終盤はスピードが落ち、シュートモーションも遅いため、ミドルレンジでのプレイはムリがあった。キャリア序盤と終盤でプレイスタイルが異なり、その証拠にディフェンスするのが難しかった選手としてアキーム・オラジュワンとクリス・マリンを挙げている。

ロサンゼルス・オリンピックの代表チームの共同キャプテン。異なる3チームでファイナルに進んだのはタイ記録である(他にロバート・オーリー&ジョン・サリー)。ニューヨーク、ロサンゼルス、トロントでプレイするのが好きだったとか。ペイサーズ時代は若手に混じってコーンロウにしていた。


マイケル・ヤング


ヒューストン大出身で、アキーム・オラジュワンやクライド・ドレクスラーとともに「ファイ・スラマ・ジャマ」の一員。1巡目第24位でセルティックスに指名されるが開幕ロスターに残れず、開幕直後に契約したサンズでデビューした。しかし、ほとんど出番がないまま解雇され、それ以降あちこちのリーグ・チームを渡り歩いた。86年のCBAのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーで、フランス・リーグに在籍していた93年にはユーロリーグのタイトルを勝ち取っている。


ティム・マコーミック


7フィート・250ポンドの巨漢C。ミシガン大出身で、1巡目第12位でキャブスに指名されるが直後にブレッツにトレードされ、更にソニックスにトレードされた。1年目はレニー・ウィルケンスHCの下で平均20分前後の出場機会を得、ジャック・シクマから多くを学んだ。86年オフにシクサーズに移籍すると、平均13点・8リバウンドとまずまずの成績を残した。ただ、その後のプレイオフ(バックスとの1stラウンド)では出場機会が減少。相手Cはシクマだったが、マコーミックはあまり起用されなかった。

マコーミックはそのプレイオフで、スターターを務めたロイ・ヒンソンよりも貢献しているように見えたが(数字上ね)、あまり評価されなかったのか、翌87~88シーズン途中にそのヒンソンとともにネッツへ放出された。ネッツでは平均14点と及第点の数字をマーク。そしてオフにはジョー・バリー・キャロルとのトレードでロケッツへ移籍した。このロケッツ移籍を機に、(アキーム・オラジュワンのバックアップとなったことで)出場機会が減少。翌シーズンは膝の故障で18試合しか出られなかった。

90年にホークスへ放出された後も故障と戦い、91~92シーズンにニックスでプレイしたのを最後に引退した。打つ直前に右手一本になるFTフォームが独特。


アルビン・ロバートソン


ディフェンスの良さで知られる6フィート3インチのSG。アーカンソー大出身で、1巡目第7位でスパーズ入り。2年目にはオールスター(87・88・91年も出場)に選ばれ、スティール王(87・91年も獲得)も獲得し、ディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーとMIPを受賞した。オールNBA2ndチームにも選ばれており、これは当時、チーム史上2番目の快挙であった(1番目はジョージ・ガービン)。デビッド・ロビンソン加入前のスパーズの中心選手である。

89年にバックスへ移籍。ここでも活躍を見せたが、チームは次第に弱体化していき、再建期に入った92~93シーズン半ばにピストンズへ放出された。このシーズン残りはスターターとしてプレイするが、その後フロントの人間を殴って無期限の出場停止処分を喰らい、94~95シーズンの開幕直後にナゲッツへトレード。しかし、背中の故障のためシーズンを全休した。翌シーズン、約2年のブランクを空けて創設1年目のラプターズでプレイ。チーム史上初得点を3Pで決めている。

平均2.79スティールは歴代一位の大記録。平均3本以上のスティールを三度達成しており、史上4人しかいないクアドゥルプル・ダブルも記録したことがある(20点・10アシスト・10リバウンド・10スティール)。スティールで達成したのは史上唯一である(あとの3人はブロック)。強豪チームに恵まれなかったが、ディフェンダーとしての評価は高く。ゲーリー・ペイトンがそのディフェンスに感銘を受け、ロバートソンのようなディフェンダーを目指したとう話は有名(たぶん)。


アキーム・オラジュワン


NBA史上最高のCのひとり。ヒューストン大時代からスターだったオラジュワンは、当時からモーゼス・マローン(ロケッツに在籍していた)とワークアウトを行うなど大物ぶりを発揮。そしてドラフト1巡目第1位でロケッツ入りが決まった。オラジュワンは地元のロケッツが自分を指名することを望んでおり、相当喜んだとのことである。ルーキーイヤーは1年先輩のラルフ・サンプソンとチームを引っ張り、19勝アップに貢献。新人王の投票ではマイケル・ジョーダン以外で唯一投票を得た。

サンプソンとのコンビはツインタワーと呼ばれ、2年目にはその威力を発揮。なんとカンファレンス・ファイナルであのレイカーズを破り、ファイナルまで進んだ(セルティックスに敗れるが)。しかし、主力のチームメイトがドラッグの問題でチームを去ったり、サンプソンが故障したり、とチームはそこから少しずつ停滞。87~88シーズン途中にサンプソンが放出されると、ロケッツはオラジュワンのワンマンチームとなってしまう(言い過ぎ?)。

89~91年はすべて1stラウンド敗退。89年はオラジュワンが平均38点・17リバウンドの活躍を見せるがマブスに遠く及ばず、90年はオラジュワン個人としては良いシーズンを過ごし、個人成績で記録を幾つかつくる(①史上初めて平均14リバウンド・4.5リバウンド以上をマーク②カリーム・アブドゥル-ジャバー、ビル・ウォルトンに次いで同一シーズンにリバウンド王&ブロック王に輝く③クアドゥルプル・ダブル達成④キャリアハイの52点をマーク)がチームは勝率5割でレイカーズに1stラウンドで惨敗。

90~91シーズンはチームが多少持ち直し、52勝30敗をあげてドン・チェイニーHCはコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞するが、オラジュワン自身はビル・カートライトの肘にやられて長期欠場を強いられるなど、満足にプレイできたとは言えず、プレイオフでは再びレイカーズに惨敗。そして91~92シーズンは遂にプレイオフに進むことすら出来なかった。しかし、このシーズンの後半、HCに就任したルディ・トムジャノビッチがロケッツを変えていく。

トムジャノビッチはトレード志願をもしていたオラジュワンを「このチームで優勝を目指そう」と説得。オラジュワンは納得し、92~93シーズンは得点とアシストでキャリアハイをマークするなど大活躍を見せ、チームも55勝をあげた。プレイオフでも数年ぶりに1stラウンドを突破している。そして93~94シーズン、ロケッツはNBA記録となる開幕15連勝を含む22勝1敗という開幕ダッシュを見せ、遂に初優勝。オラジュワンは外国出身(国籍はアメリカ)の選手としては史上初のファイナルMVPに輝いた。

翌94~95シーズンは王者としては低調なシーズンで、トレード期限にオラジュワンのカレッジ時代のチームメイトであり、オールスターGであるクライド・ドレクスラーを獲得するも、そこから逆に勝率が落ちるなど、第6シードでプレイオフに臨まなければならなかった。しかし、プレイオフでは見違えるような底力を見せ、なんと2連覇を達成。これは史上最も低いシードからの優勝で、オラジュワンは文句なしで2年連続ファイナルMVPを受賞した。

95~96シーズンはカンファレンス・セミファイナルでソニックスにスウィープ負けを喫するが、そのオフにチャールズ・バークリーが加入。ドレクスラーと合わせてベテラン・ビッグ3が出来上がった。翌シーズン、ロケッツは好調なスタートを切るが、ビッグ3が年齢や故障には勝てず、少しずつ失速。プレイオフでは宿敵ソニックスを破るが、カンファレンス・ファイナルでジャズに敗れた。そしてこれが、オラジュワンがエースとしてチームを牽引した最後のシーズンとなる。

翌シーズンは故障で35試合を欠場し、スタッツも大幅ダウン。チームも第8シードがやっとでオフにはドレクスラーが引退した。ロックアウトで短縮された98~99シーズンはスコッティ・ピッペンが加入して新ビッグ3が形成されるが、峠を過ぎたオラジュワン&バークリーとシステムに合わないピッペンでは思うような結果が残せず、再度1stラウンドで敗退(またレイカーズ)。そのオフ、ピッペンがチームを去ってスーパールーキーのスティーブ・フランシスが加入し、事実上オラジュワンの時代は終わった。

01年には将来のドラフト1巡目指名権と交換でラプターズへ移籍し、1シーズンだけプレイして現役を引退。愛称は「アキーム・ザ・ドリーム」。リバウンド王2回、ブロック王3回、史上唯一となるシーズンMVP&ディフェンシブ・プレイヤー・オブザ・イヤー&ファイナルMVPの同時受賞(93~94シーズン)、歴代のブロック王・・・と華々しい実績は挙げたらキリがない。アメリカに帰化したあとはアトランタ・オリンピックで金メダルも獲得している。

「ドリームシェイク」と呼ばれた、幾つものフェイクやスピンを組み合わせた独自のフットワークは誰も止めることが出来ず、最盛期にはパトリック・ユーイング、デビッド・ロビンソン、シャキール・オニールらでさえ手玉にとっていた。シャックは「アキームは5つの動きを持っている。そして4つの偶然から20の別の動きが生まれるんだ」とコメント。この動きは、ナイジェリアでサッカーをやっていた頃の経験が活きているという。スティールも上手かった。

ただ、97~98シーズン以降は故障も重なったのか、同世代のスーパースターたちと比べても衰えが激しく、キャリア晩年の姿は見ていて辛いモノもあった。元々は「Akeem」だったが、「Hakeem」にスペルを変更(発音は同じ)。イスラム教を信仰しており、丁度シーズン中にあたるラマダンにも忠実であった。引退後も現役の若手Cに指導を行うなど、精力的に活動している模様。余談だが、カレッジ時代はホームで34番、ロードで35番を付けていたそう。

昭和64年&平成元年ドラフト組①

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AKBグループとオケに共通して思うこと。「世代交代は難しい」

AKBグループの方は僕がよく知らないだけかもですが。



ステイシー・キング


ドラフト1巡目第6位という高順位でブルズ入り。ジェリー・クラウスが指名した失敗ビッグマンのひとりである。ブルズが最初の3連覇を達成したときのメンバーだが、スターターが盤石だった上にスコット・ウィリアムスらの加入もあって出場機会は安定せず、不満分子的なキャラでもあった。93~94シーズン途中にウルブズへ移籍すると、そのシーズンの残りはスターターに定着して平均11.8点をマークするが、翌シーズン以降は再び控えへ。そこから移籍を繰り返し、97年にリーグを去った。

サウスポーのFで複数のポジションをこなせたが、中途半端感あり。サイズの割に器用さを見せる半面、凡ミスも多く、文句を行ったりトレードを要求したりしたことで地元ファンからブーイングされることもしばしばだった。ブルズ時代、心機一転をはかるという理由で一度背番号を変えており、ジョーダンは「お前が不調になる度に背番号を変えていたら、うちは番号がなくなってしまうよ」とからかっていた。


ランディ・ホワイト


ルイジアナ工科大出身のPFという、カール・マローンと同じ経歴の選手。実際、カレッジ時代には「メイルマン2世」という愛称をもらっていたようで、1巡目第8位でマブス入りした。ただ、プロ入り後はまったくの期待外れ。マブス一筋で5シーズン過ごし、NBAを去った。マブスがチーム史上最低の2シーズンを過ごしたときのメンバーだが、そこでも活路を見せ出せなかった。PFとしては異様にFG成功率が悪く、最初の3シーズンは40%にも届かなかった。


ティム・レグラー


シューター。所謂ジャーニーマンで、89~90シーズン終盤に10日間契約でサンズ入りし、そこからNBA意外のリーグも含み、あちこちのチームを渡り歩いた。92~93シーズンの途中からプレイしたマブスでローテーションに入ると、94~95シーズンにはウォリアーズで3P成功率52%をマーク。そしてブレッツに在籍した95~96シーズン、3Pコンテスト優勝(三回の試技で90点中65点を決めたのは記録)&3P成功率1位の二冠を達成し、知名度をあげた。

これでようやく正規の契約を結ぶが、96年以降の3シーズンは膝の故障でほとんどプレイできず、フェイドアウトしてしまった。通算43%の3P成功率はスティーブ・カー、ヒューバート・ディビス、ドラゼン・ペトロビッチに次ぐ歴代4位(引退時)。良いシューターだったが怪我したタイミングが悪かった。


シャーマン・ダグラス


シラキュース大出身のPG。2巡目第28位指名であったが1年目からスターターの座を掴み、オール・ルーキー1stチームに選出された。2年目は平均18.5点・8.5アシストと、創設3年目の弱小チームにいたことを考慮しても大活躍。しかし、91年オフに制限付きFAとなると金銭面でチームと折り合いがつかず、開幕から1ヶ月ほど経った12月下旬にレイカーズのオファーシートにサイン→ヒートがマッチ→直後にセルティックスへトレード、と新天地探しに時間がかかった。

セルティックスではデビッド・ウェズリーやディナ・バロスらの加入で立場が危うくなり、95~96シーズン開幕直後にバックスへ移籍。ここでは曲がりなりに司令塔として活躍した。97年にはショーン・ケンプ、ビン・ベイカーらを絡めた大型トレードでキャブスへ放出されるもすぐに解雇され、更にネッツと契約を結んだ。98~99シーズンをクリッパーズ、99~01シーズンを再びネッツで過ごして現役を引退。ラスト2シーズンは合計で80試合もプレイしなかった。

状況判断やハンドリングに難があり、アウトサイド・シュートも不安定だが、何故か得点力はあり、ボールをゴールに入れる感覚は悪くない。通算のFG成功率も50%近い。セルティックス、バックス、クリッパーズでクリス・フォードHCの下でプレイしている。


ディノ・ラジャ


クロアチア出身のPF。80年代終盤から90年代前半にかけてヨーロッパで活躍し、90年代半ばに3シーズン半セルティックスでプレイした。2巡目第40位でセルティックスに指名されるが、このときはイタリアのクラブ・チームと契約。ここでのプレイぶりは高く評価された。93年にセルティックスと契約。シーズン半ばにはスターターの座を掴み、同郷のクーコッチとともにオール・ルーキー2ndチームに選出された。これ以降、冴えない時代のセルティックスの中心として活躍した。

しかし97年オフ、シクサーズへトレードされたのを契機としてヨーロッパへ帰還。以降、NBAでプレイすることはなかった。97~99年はパナシナイコスでプレイし、2度のギリシャ・チャンピオンに貢献。99~00シーズンは母国、00~01シーズンはオリンピアコス(パナシナイコスのライバル)でプレイした。01年からは再び母国に戻り、03年に引退している。ソウル・オリンピック、バルセロナ・オリンピックの銀メダリストでもある。

ヨーロッパ出身の選手としては珍しく、インサイド主体のプレイで成功した選手。スピードや身体能力の高さはないが、それを補う技術があった。惜しむらくは故障が多かったこと。


JR・リード


1巡目第5位で名門ノースカロライナ大からホーネッツ入りしたF/C。エネルギッシュな顔つきが印象的だが、オフェンスではソフトタッチでジャンパーを決めるなど技術も持ち合わせている。ただ、先発としては物足りなかった。最初の2シーズンはCとして起用されることが多かったが、ラリー・ジョンソンの加入などで3年目に出場機会が減少。4年目のシーズン序盤にスパーズへ放出され、移籍2年目からはデニス・ロドマンのバックアップを務めた。

しかし、95~96シーズンにロドマンが移籍したときにスターター座を確保できず、シーズン半ばにチャールズ・スミスとのトレードでニックスへ放出。翌シーズンはイタリアでプレイした。97~98シーズンは古巣ホーネッツでNBA復帰を果たすが影は薄く、翌シーズン途中に今度はレイカーズへ移籍。強豪レイカーズのPFという大役を与えられたが、それにはあまりにも役不足であった。99~00シーズンはバックスで過ごし、キャブスに移った00~01シーズンは途中で解雇されている。


テリー・ディビス


エド・ディビスのお父さん。ヴァージニア・ユニオン大の出身で、ドラフト外でプロ入りしたビッグマンという経歴は後輩のベン・ウォレスと被る(実績は違いすぎるが)。89~91年をヒート、92~96年をマブスでプレイ。マブス時代の個人スタッツはまずまずだが、チーム状態が酷かったことを考慮に入れる必要があるかも。96~97シーズンはNBAでプレイせず、97~99年はウィザーズでジョージ・ミュアサン故障欠場中の代役を務めた。00~01シーズンにナゲッツでプレイしたのが最後。


トッド・リッチ


1巡目第15位でナゲッツ入りしたスウィングマン。6フィート4インチとサイズは小さいが得点力があり、スタンフォード大の歴代のリーディング・スコアラーでもある。オフェンス志向のナゲッツで1年目から活躍し、ポール・ウェストヘッドがHCとなった2年目は開幕からスターターに定着した。しかし、29試合目に膝を故障してシーズンの残りを欠場すると、以降も様々な故障に悩まされ(フィアンセを亡くした交通事故を含む)、93~94シーズンでNBAでのキャリアを終えた。

昭和64年&平成元年ドラフト組②

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ここしばらく、魔女の宅急便をロードショーでやらないですよね?

何度も見てるけど、たまに見たいというかなんというか。


こないだ初めて平成狸合戦を見たけど、僕はあまりはまりませんでした。

いい加減、一度はナウシカを見てみようと思う。



ダグ・ウェスト


ウルブズ初期の中心選手。6フィート6インチのSGで、2巡目第38位でヴィラノバ大からウルブズ入り。当初は戦力にならなかったが、91~92シーズンからスターターに定着し、このシーズンはスラムダンク・コンテストにも出場した。しかし、相次ぐ補強や故障で出場機会が制限されるようになり、97~98シーズン半ばにアンソニー・ピーラーと交換でグリズリーズへ移籍。このシーズンの残りはアルコール依存症のリハビリ・プログラムに取り組み、プレイできなかった。

01年まで同チームで現役を続けるが、トータル70試合もプレイできず、若いチームの助けにはなれなかった。SGとしてはシュートエリアが狭いが、最盛期にはFG成功率50%・FT成功率80%をクリアしていた。ディフェンスも良い。ウルブズで9シーズン半を過ごしており、ステファン・マーブリーがケビン・マクヘイルから「ステフは忠誠心がなかった」と批判された際、「(生え抜きだった)ウェストをあっさり放出する方が忠誠心がないんじゃないの?」とやり返した。


プー・リチャードソン


本名はジェローム・リチャードソン。愛称の「プー」は、祖母が「くまのプーさんに似ている」と考えたことに由来している。6フィート1インチのPGで、1巡目第10位で名門UCLAからウルブズ入り。オール・ルーキー1stチーム入りし、そこから92年にペイサーズへ放出されるまで、出来たばかりのチームを牽引した。ペイサーズでは移籍2年目に故障の影響からか低迷。45試合を欠場し、オフにはマーク・ジャクソンとのトレードでクリッパーズへ放出された。

最初の2シーズンは奮闘したが、96~97シーズンはスターターの座をダリック・マーティンに奪われ、98~99シーズンを最後に現役引退。小柄でスピードのあるPGだった。意外と?FT成功率が悪い。


エイドリアン・コールドウェル


サザン・メソジスト大とラマー大を経て、89年オフにドラフト外でロケッツ入り。2シーズン過ごしてNBAを離れるが、94年に古巣ロケッツでNBA復帰を果たすと、97~98シーズンまでに細々と5チームを渡り歩いた。6フィート8インチはCとしては小柄(265ポンドあるが)。サウスポーで、いかにも入らなそうな独特なFTが印象的であった。プロとしては、CBA、イタリア、スペイン、アルゼンチン、トルコ、ベネズエラでもプレイ経験がある。


デイナ・バロス


ボストン・カレッジの歴代のリーディング・スコアラー。5フィート11インチしかないこのPGは1巡目第16位でソニックス入り。1年目はネイト・マクミランのバックアップとして及第点の成績を残したが、翌年ゲーリー・ペイトンが加入したことで役割は減少。結局、今ひとつフィットしないまま93年オフに放出された。このときはまずホーネッツ、その2日後にシクサーズへトレードされるというたらい回しを経験するが、シクサーズ移籍がバロスの転機となる。

低迷するシクサーズでスターティングPGとなったバロスは開花。移籍2年目にはほぼすべてのカテゴリーでキャリアハイを記録するなど大ブレイクした。平均20点オーバー、3P197本を決めながらの成功率46.4%は見事である。また、オールスターにも選出された。95年3月のロケッツ戦では50点をマークし、MIPをも受賞している。また、89試合連続で3P成功という記録もうちたてた(当時)。95年オフには故郷ボストンのセルティックスと契約。

移籍1年目は貴重なロールプレイヤーとして機能するが、翌シーズンからは故障や再建モード突入に伴う若手の加入などで存在が希薄に。00~02年はピストンズで過ごした。03~04シーズンの最終盤にセルティックスと突然契約して1試合プレイしたのを最後に現役を引退。キレのある動きとシュート力の高さが武器。3Pコンテストには92~96年まで出場している。


ニック・アンダーソン


マジック史に残る選手のひとり。1巡目第11位でマジック入り。背番号25はかつての亡くなったチームメイトに肖っている。3年目からスターターに定着し、シャック&ペニー加入後は主に第3オプションとして一時代を支えた。そんなアンダーソンを有名にしたのが95年プレイオフの2つの出来事であった。ひとつはカンファレンス・セミファイナル第1戦、残り20秒で1点ビハインドという場面でマイケル・ジョーダンからスティールして逆転勝ちに貢献した。

試合後に「もう23番はみえない」とコメントし、ジョーダンがリーグ規定を無視してまで背番号を45から23に戻したのは有名である。ふたつめはファイナル第1戦。4Q残り時間僅かというところでマジックは3点リードしていたのだが、ここからアンダーソンが4本連続でFTをミス。直後にケニー・スミスの3Pで追いつかれてOTにもつれ、マジックは負けてしまった。アンダーソンが1本でもFTを決めていれば、と、アンダーソン自身を含め誰もが思う場面であった。

そして、このFTの件はアンダーソンに長くつきまとうことになる。翌シーズン以降、特にシュートタッチに精彩を欠く場面が散見するようになり、あるシーズンにはFT成功率がなんと40%台まで下降。一時期はスポーツ心理学の力を借りて回復の兆しを見せ、97~98シーズン終盤にはプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞するほどの活躍を見せたが、今度はチームが崩壊。99年にタリーク・アブドゥル-ワハドと交換でキングスへ放出された。

アンダーソンは当時のキングスが必要としていたベテラン&シューターという2つの要素を兼ね備えていたが、うまくいかず、翌シーズンはダグ・クリスティにポジションを奪われてベンチへ。01~02シーズンをグリズリーズでプレイして引退した。FTがキャリアを一変させてしまった選手。アンダーソン自身、「あの挫折から立ち直るのに3年かかった」とのちにコメントしている。ピーク時はシュート力とディフェンス力に優れたいいスウィングマンだった。マジックでは10年プレイしている。


ジョージ・マクラウド


3Pシューター。1巡目第7位でペイサーズ入り。ペイサーズは当初、「PGとしても使える選手」と高く評価していたようだがアテは外れ、4シーズン在籍するもいいところはなかった。しかし、1シーズンのブランクを空けて94~95シーズンにマブスに加入すると開花。シューターとして機能し、特にジャマール・マッシュバーンが長期離脱を強いられた95~96シーズンは63試合でスターターを務め、平均18.9点・3P成功数257本をマークした。

このシーズン、「3Pを打ちすぎではないか?」とディック・モッタHCに自ら聞いたところ、「気にするな、どんどん打っていけ」と励まされたというエピソードがある。96~97シーズン半ばには5対4の大型トレードでネッツへ放出され、更にすぐレイカーズへ再トレードされた。しかし、レイカーズでは出番がなく、プレイオフのロスターにも残れず、オフにサンズと契約を結んだ。サンズでは主に6マン的な役割を務め、99~02年に在籍したナゲッツではチーム唯一?のシューターだった。

02年オフにウィザーズに放出されるが開幕前に解雇され、その後NBAのコートに立つことはなかった。隙あらば打ってくるタイプで試投数が多いので、確率はあまり良くない。そのためかフィットするチームとしないチームの落差が激しかった。96年には3Pコンテストに出場している。


BJ・アームストロング


ブルズ最初の3ピートを語る上で欠かせないPG。1巡目第18位でアイオワ大からブルズ入り。子供の頃はアイザイア・トーマスに憧れていたという。最初の3シーズンはジョン・パクソンのバックアップだったが、早くからフィル・ジャクソンの信頼を掴み、ローテーション入りしていた。92~93シーズン、パクソンの故障や衰えなどもあってスターターへ昇格。3P成功率でリーグ首位に立つなど成長を見せ、サンズとのファイナルではケビン・ジョンソンと激しい?マッチアップを繰り広げた。

マイケル・ジョーダンが引退した93~94シーズンは更に頭角を現し、オールスターにはなんとファン投票で出場。チームがジョーダン抜きで55勝27敗をマークするのに貢献した。しかし、翌シーズンはジョーダンの突然の復帰やスティーブ・カーの台頭のためか、シーズンが進むに連れてムラが多くなり、オフにはエクスパンション・ドラフトでプロテクトされず、ラプターズにいの一番で指名された。奇しくも、ラプターズのGMは憧れのトーマスであった。

しかし、トーマスはその後のドラフトで指名したデイモン・ストウダマイヤーに期待をかけ、オフのうちにウォリアーズへ再放出された。移籍1年目は新HCのリック・アデルマンがティム・ハーダウェイよりBJを好み、64試合でスタート(ハーダウェイは途中で移籍)。チームは低迷したが選手としては成熟したところを見せた。しかし、翌シーズンは初めて長期離脱を強いられる故障を経験するなど失速。マーク・プライス、ビンボ・コールズと併用されるのもマイナスだった(と思う)。

97~98シーズンの開幕直後、ホーネッツへ移籍。ここではピーク時のデビッド・ウェズリーやボビー・フィルズがいたため出番は限られており、同年プレイオフのカンファレンス・セミファイナル第2戦で、古巣ブルズをアウェイで破る立役者となったのが数少ない見せ場だった。98~99シーズン途中にはレイカーズへ放出され、直後になんと解雇され、10日間契約でマジック入。そしてオフには現役最後のシーズンとしてブルズと1年契約。27試合しか出られなかったが、シーズン最終戦では温かい声援を浴びた。

ブルズで最後に背番号10を着用した選手(95年に永久欠番になったため)。現役最後のシーズンは背番号11でプレイした。引退後はブルズのフロントに入り、ジェリー・クラウスGMのスペシャル・アシスタントに就任。02年にFAのドニエル・マーシャルがブルズ入りを決めたのは、燻っていたウォリアーズ時代にBJ世話になり、恩義を感じたからだと言われている。03年にクラウスが辞任する際に職を退き、スカウトへ。新GMにはパクソンが就任した。ESPNで解説を務めたこともある。

シュートの上手いPG。派手なプレイを見せるわけではないがチームへの貢献度は高く、プレイスタイルはクリーンで、ピーク時には人気があった。ジョーダンの息子がファンだったという話もある。無駄打ちをしない3Pは高確率で良いシューターだったが、単なるセットシューターではなく、それ故にブルズ時代はパクソンやカーの方がシステムにフィットしている感もあった。97年に膝を痛めるまではタフな選手としても知られ、577試合連続出場は史上3番目に長い記録。


アンソニー・クック


アリゾナ大出身のビッグマン。1巡目第24位で地元サンズに指名され、直後にピストンズにトレードされるがそのシーズンはNBAでプレイせず、翌オフにナゲッツへトレード。ようやくデビューに至った。3シーズン在籍し(92~93シーズンは膝の故障で全休)、マジックへ移籍。その後も他リーグを含め、移籍を繰り返した。NBAでは95~96シーズンが最後。日本でもプレイしたことがある。技術に乏しく、独特なフォームから繰り出されるFTは確率が悪かった。

昭和64年&平成元年ドラフト組③

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昔、Xの楽曲を3曲、先輩が室内楽版にアレンジして「バラード・メドレー」みたいのをやったんですよね。あれは本当に楽しかった。




パービス・エリソン


ルイビル大から1巡目第1位でキングスに指名されたC。カレッジ時代は1年次からめざましい活躍を見せ、なんとMOPを獲得。これは当時史上初の快挙で、その後もカーメロ・アンソニーしか達成していない。ただ、プロ1年目は故障で48試合を欠場したこともあったが大きく期待を裏切ってしまい、チームメイトだったダニー・エインジにも「アウト・オブ・サービス・パービス」と呼ばれてしまう始末。オフにはブレッツへと放出されてしまった。

ブレッツでは、1年目は控えだったが、2年目にはスターティングCとなって平均20点・10リバウンドをマークし、MIPを受賞。元1位指名選手の名誉を守ったかに見えた。しかし、翌シーズンは膝の怪我で29試合を休み、93~94シーズンも30試合を欠場。成績も急降下した。94年にはセルティックスに移籍するが、1年目は膝のリハビリでシーズン半ばまで復帰できず、復帰後も期待には応えられなかった。セルティックスには00年まで在籍するが、ほぼ戦力ではなかった(98~99シーズンは全休)。

00年にソニックスに移籍するが途中で解雇され、現役を終えた。6フィート9インチとCとしては小柄だが、ピーク時にはブロックやアシストでも存在感を見せるなど、決して悪い選手ではなかった。オフェンスではポストプレイがイマイチな半面、合わせるプレイが上手かったイメージ。非常に怪我が多く、12シーズンのキャリアで出場したのは474試合と半分にも満たない。90年代中頃から束ねた長髪がトレードマークであった。カレッジ時代の愛称は「ネバー・ナーバス・パービス」。


ヘイウッド・ワークマン


8シーズンで5チームを渡り歩いたディフェンシブなPG。ウィンストン・セーラム州立大で1年プレイした後、86~87シーズンにはオーラル・ロバーツ大に編入。ワークマン在籍中の同大は27勝52敗と弱かったが、ワークマン個人はオールラウンドな成績を残しており、88年12月に行われたオクラホマ大戦(ムーキー・ブレイロックやステイシー・キングがいた)では、キャリアハイの42点(3P6本)をあげる活躍を見せた(試合には負けている)。

ドラフト2巡目でホークス入りするが、ホークスはドック・リバース&スパッド・ウェッブの控えにセドリック・トゥーニーを選んだために開幕直後に解雇され(出場はなし)、CBAでプレイした。CBAではカレッジ時代並みの好成績を残し、CBAのオール・ルーキー・チームにも選ばれ、年明けに10日間契約でホークスに復帰するが、またすぐに解雇(今度は6試合起用された!)。その後はWBLでプレイを続けた。90年8月にはブレッツからキャンプに招待されるが、ここで事件が勃発。

当時ワークマンが在籍していたWBLのチームはそのときプレイオフの準備をしており、チームのフロントは「キャンプに参加するならWBLから引退せねばならない」と主張。ワークマンは罰金を支払い、WBLには戻らなかった。ブレッツにはダレル・ウォーカー、スティーブ・コルター、AJ・イングリッシュ、リーデル・エックレスといったバックコート陣がおり、トニー・ハリス、ラリー・ロビンソンというロスター争いのライバルもいたが、ワークマンには運も味方していた。

ウォーカーはアキレス腱の腱炎を経験して健康状態に不安があり、コルターはHCのウェス・アンセルドと揉めてキングスに放出され、エックレスは再契約の交渉で揉めており、ハリスは解雇。ワークマンはロビンソンとともに生き残ったのである。シーズン開幕後は最初から積極的に起用され、シーズンの大半で11ウォーカーとスターティング・バックコートを組むなどスターター出場も多かった。73試合中56試合でスターターを務め、平均8.0点・4.8アシスト・1.2スティールは及第点であろう。

オフにはイタリアのクラブ・チームと契約。2年間400万ドルという契約を結び、その契約金はBMWとアドリア海の海岸に建つ家になった。ブレッツは最低保障年俸の12万ドルのオファーを出し、ワークマンがもしチームに残留したらノンギャランティーで25万ドルになる可能性もあったが、どちらにしても桁がひとつ違うのは大きいだろう。そして、イタリアでもカレッジ時代並みの成績を残したワークマンは、93年にペイサーズと契約を結んでNBA復帰を果たす。

ペイサーズではプー・リチャードソンの故障もあって65試合中52試合でスターター出場。チーム史上初めてカンファレンス・ファイナル進出を果たした大事なシーズンに貢献した。翌シーズンはマーク・ジャクソンの加入でバックアップとなるが、ワークマンの方がディフェンスがいいので、HCのラリー・ブラウンには重宝されていた(と思う)。しかし、96~97シーズン開幕4戦目に左膝の前十字靱帯を断裂してしまい、ここからキャリアは脱線していく。

ワークマンはこの怪我で96~97シーズンの残りと97~98シーズンを全休し、99年には解雇。98~99シーズン途中にバックスに拾われた。ここではサム・キャセールの故障のお陰で、出場した29試合すべてでスターターとして起用され、チーム数年ぶりのプレイオフ進出に貢献するが、翌シーズンには解雇。直後にラプターズと契約を結び、これがNBAで最後のプレイとなった。現役引退前にはイスラエルでもキャリアを積んでいる。

シュートエリアが狭く、技術的には心許ないが、ミスが少なくディフェンスも悪くない。バックアップとしてはまずまずであった。引退後は01年からレフェリーになるための勉強をスタート。プロ・アマリーグ、CBAなどを経て、04年にはNBDLのレフェリーとなった。06~08シーズンはNBDLで働く傍ら、NBAのプレシーズンでも笛を吹き、08~09シーズンからは遂にNBAに採用された。元選手でレフェリーとなったのは史上3人目である(バーニー・フライヤー、レオン・ウッドに次ぐ)。


トム・ハモンズ


ジョージア工科大出身で、1巡目第9位でブレッツ入りしたPF。最初の2シーズンは平均15分も起用されず、3年目の91~92シーズンは平均11.9点をあげるなど成長を見せたが、シーズン半ばにホーネッツへトレード。トレード後は故障のために1試合もプレイせず、翌シーズン途中には更にナゲッツへ移籍した。ここでは地味ながら4シーズン半を過ごし、97~98シーズンの開幕直後から、引退するまで(00~01シーズンがラスト)はウルブズでプレイした。

ウルブズでの1年目は、チーム事情からCとして起用されることも多かったが、無難な働きを見せていた。ドラフト指名順位に見合う選手ではなかったが、ロールプレイヤーとして息の長いキャリアを過ごした。86年の世界選手権の金メダリスト。引退後はドラッグ・レース界に携わっており、車の販売代理店も所有している模様。


ティム・ハーダウェイ


「キラー・クロスオーバー」と呼ばれたドリブルで知られたPG。テキサス大エルパソの出身で、ドラフト1巡目第14位でウォリアーズに入団。クリス・マリン、ミッチ・リッチモンドと「ランTMC」と呼ばれるハイスコアリング・トリオを形成し、ドン・ネルソンの掲げるアップテンポなオフェンスを具現化した。90~93年のアベレージは平均20点・10アシストを超え、この期間は当然オールスターにも選ばれている。しかし、膝の故障で93~94シーズンを棒に振ってから、キャリアが変わり始める。

93~94シーズンはクリス・ウェバー、ラトレル・スプリーウェルら若手が頑張ったのだが、その若手がネルソンと対立。ハーダウェイはネルソンを尊敬しており、(ウェバーは移籍したが)スプリーウェルとの不仲が噂された。94~95シーズンはチームも勝てなくなってネルソンがいなくなり、オフにリック・アデルマンがHCに就任。アデルマンはハーダウェイよりもBJ・アームストロングを好み、95~96シーズン、ハーダウェイはベンチスタートとなってしまう。

ハーダウェイが息を吹き返したのは、このシーズン半ばにヒートにトレードされてから。パット・ライリーは先に獲得していたアロンゾ・モーニングとハーダウェイを軸に優勝を狙えるチームを作ろうとしており、モーニングは当初は精神的に未成熟な部分が見られたが、ハーダウェイはすぐに対応。96~97シーズンはMVPの候補にもチラッと名前が挙がるほどの活躍を見せ、自身初のオールNBA1stチーム入りも達成。チームもフランチャイズ記録となる61勝をマークした。

しかし、ヒートはプレイオフで安定して勝てるほどのチームではなかった。モーニングは精神的に、ハーダウェイはコンディション的に、肝心な時期に頼れる選手ではなかった。特にハーダウェイは歳を重ねるごとにシーズン終盤からプレイオフにかけてペースダウンする姿が見られるようになり、01年オフ、遂にヒートはハーダウェイに見切りを付けた。ドラフト2巡目指名権と交換でマブスに移ったハーダウェイは、恩師ネルソンとの再会を喜ぶが、シーズン半ばにはナゲッツへトレード。

ナゲッツではスターティングPGとしてプレイするが、そのフロントは再建モードに入るためにチームを壊している最中であり、ハーダウェイ自身も試合中に怒ってモニターを壊して出場停止処分を喰らうなど、散々なシーズンであった。翌02~03シーズンはシーズン終盤にペイサーズと契約するが、戦力にはなれず、シーズン終了後に現役を引退した。ネルソンが指揮を執ったドリーム・チームⅡのメンバーでもあったが、先述の膝の故障により出場は辞退している。

若い頃はスピードとテクニックで相手を翻弄していたが、膝を怪我してから失速し、アウトサイドから打つことが多くなった。年々FG成功率が下がっていった理由のひとつはそれだろう。自分のタイミングで3Pを打つことも多く、アデルマンに嫌われたひとつの理由はそこにあると考えられる。PGとしては体格がよく、ポストプレイもでき、故障前はスティールも多かった。背番号は10がお馴染みだが、ルーキーイヤーはマヌート・ボルが10番を付けていたため、5番でプレイしていた。


グレン・ライス


シュータータイプのスコアラー。ミシガン大出身で、総得点は同大史上1位である。ドラフト1巡目第4位で創設2年目のヒートに加入。即戦力として期待されたが、コンディショニング不足などから、ルーキーシーズンは今ひとつで。ただ、2年目以降はコンスタントに平均20点前後を稼ぎ、若きチームで2度のプレイオフを経験した。しかし、95~96シーズンの開幕当日にアロンゾ・モーニングを絡めた大型トレードでホーネッツヘ放出されてしまう。

このオフ、ヒートのフロントにはパット・ライリーが入っており、ライリーは「君はトレードしない」とライスに伝えていたようだが、それが裏切られる形となった。しかし、ライスはこのトレードでステップアップ。移籍1年目はオールスターに初選出され、そして96~97シーズンはライスのシーズンと言ってもいいほどの当たり年となる。97年の年明け頃から絶好調で、2年連続で選ばれたオールスターではベンチ出場ながらMVPを受賞、「僕が世界最高の選手だ。今日だけね(笑)」とコメントしたのは有名である。

この年はMVPの投票でも名を連ねており、オールNBAチームにも選出されている(翌シーズンも選出)。しかし、98~99シーズン、ブラデ・ディバッツの移籍とライス&アンソニー・メイスンの故障でチームは崩壊。ライスも怪我が治る前にレイカーズへ放出された。ライスはレイカーズのジェリー・ウェストGMのお気に入りだったが、チームにフィットせず、おまけにレイカーズにとって(対価として)エディ・ジョーンズ&エルデン・キャンベルを失った穴は大きく、プレイオフでもスパーズに惨敗してしまう。

翌99~00シーズンはフィル・ジャクソンがHCに就任。チームは強く生まれ変わり、圧倒的な強さを見せてNBAチャンピオンとなるが、ライスは役割が限られて出場機会も減るなど、馴染めなかった。ジャクソンHCはディフェンスを重視してライスよりもリック・フォックスを起用することが多く、ファイナル第3戦ではライスのフィアンセが起用法の不満を訴える、という一幕もあった。そして、大方の予想通り、そのオフにライスはトレードでニックスへ移籍する。

ニックスではアラン・ヒューストン、ラトレル・スプリーウェルのバックアップとなって出場機会がさらに減少。オフにはロケッツにトレードされ、そこから2シーズン過ごすが、故障や年齢やチーム事情が重なって衰えは隠せなかった。03年オフにはジャズに放出されるが、再建期のチームでのプレイを拒み、解雇。クリッパーズと契約するが、FG成功率が30%にも届かないなど大乱調(ライスのブザービーターで勝った試合もあったが)、年明けに解雇され、現役生活を終えた。

キャリア終盤はオーバーウェイト気味で、膝の故障やスピード不足に悩む姿が見られたが、最盛期は当たると手が付けられないスコアラーだった。96~97シーズンに限れば、誰もライスを止めらることができず、マイケル・ジョーダンやカール・マローンに匹敵する得点力であった。ムードメーカー的な一面もあり、ニックスやロケッツでもチームメイトと馴染むのが早かった(ように見えた)。手が小さく、ダンクは基本的に両手。88年のソウル・オリンピックでは代表候補になるも、直前でカットされている。


クリフォード・ロビンソン


コネチカット大出身で、88年のNCAAチャンピオン。カレッジ大の背番号00は永久欠番になっている。ドラフト2巡目第36位でブレイザーズ入り。1年目からまずまずの活躍を見せ、90・92年とチームがファイナルに進出したときには(優勝はできなかったけど)6マンとして貢献。92年のジャズとのカンファレンス・ファイナル第4戦で、「アンクル・クリフィー」とのちに名付ける勝利のダンスを披露したのは有名である(たぶん)。そして、ここからロビンソンの重要度は更に増していく。

主力の高齢化などからチームは過渡期に入り、そこで目立ったのがロビンソンであった。92~93シーズンには平均19.1点・6.6リバウンド・2.0ブロックをマークして6マン・アワードを受賞、93~94シーズンにはスターターの座に定着し、オールスター出場も果たした。94~95シーズンには3Pが突然オフェンスのバリエーションに加わり、95~96シーズンには史上最長身(6フィート10インチ)で3Pコンテストにも出場している(のちにダーク・ノビツキーに破られる)。

97年オフ、FAとしてサンズへ移籍。サンズ時代はチーム事情からC的な役割を任されることも多かった。また、ペニーやトム・ググりオッタなどジェイソン・キッドとのコンビを期待された選手がことごとく外れだったため、キッドを実質的に支えたのはショーン・マリオンであり、ロビンソンだった。00年のナゲッツ戦ではキャリアハイの50点をマークしており、33歳と2ヶ月で初めて50点をあげたのは、史上最年長であった。01年にはピストンズへトレードで移籍。

ここでは2シーズン、ディフェンス志向のチームにおける得点源として活躍した。03年にはウォリアーズへ移籍。当時既に37歳であったが全82試合でスターターを務め、平均11.8点をマークしている。翌シーズン半ばにはネッツへトレードされ、インサイドのコマ不足というチーム事情も手伝ってか、そこから2シーズン半、40歳まで現役を続けた。ラスト5シーズンくらいはさすがに衰えを隠せなかったが、引退するまで戦力として戦い続けた。

故障が少なく、18シーズンのキャリアのうち13シーズンで80試合以上出場、デビューから5シーズン連続を含む8シーズンでフル出場を果たした鉄人でもある。80年代にドラフト指名された選手で、07年に現役だったのはケビン・ウィリスと2人しかいなかった(但し、ウィリスは引退を挟んでいる)。18シーズン中17シーズンでプレイオフに進んでいるのも見事である。ノビツキーに破られるまでは、通算1000本以上の3Pを決めた、史上最長身の選手でもあった。

SF~Cをこなすことが出来、その役割や起用法はキャリアを経るごとに変化していった。地味なスタイルのためか過小評価されている選手とも言われ、オールスター出陽は戦術の1回のみである。麻薬絡みのトラブルを何度か起こしており、01年2月にはマリファナ不法所持ととその影響下での運転、05年2月にも5試合の出場停止処分を喰らい、06年5月にも5試合の出場停止処分を受けている。若い頃からヘッドバンドがトレードマークであった。


ダニー・フェリー


定期的に物議を醸す、デューク大史上に残るスター。6フィート10インチのFで、カレッジ時代は86・88・89年とファイナル4に進出したり、ネイスミス・アワードを受賞したりと華々しいキャリアを過ごした。背番号35は卒業と同時に永久欠番となっている。この年のドラフトではその実績から1巡目第2位でくりパーズに指名されるが、同ポジションに伸び盛りの若手が豊富にいることから入団を拒否(チーム状態・評判の悪いクリッパーズが嫌だったという話もある)。すぐにイタリアのクラブ・チームと契約を結んだ。

クリッパーズはフェリーの権利をキャブスへトレードし、90年オフ、キャブスとフェリーは10年契約を締結。しかし、NBA選手としてのキャリアが始まると、SFとしてはスピードと技術がなく、PFとしてはパワーがない典型的なツイナーで、期待外れであった。キャリア6年目の95~96シーズンにタイロン・ヒルの故障でスターティングPFとしてプレイ。このときはアウトサイドが得意なPFとして良さを活かすことが出来、キャリアハイの平均13.3点をあげるなどようやく活躍を見せた。

しかし、97年からチームが若返りを図ると再び役割が縮小し、契約が終わるとスパーズへ移籍。スパーズでは移籍1年目は、特にシーズン終盤からプレイオフにかけてスターティングSFとして起用され、アウトサイド・シュートで貢献した。現役最後となった02~03シーズンには念願のチャンピオン・リングを獲得したが、フェリー自身はあまり貢献していない。引退時点で、キャブスで通算723試合出場というのはフランチャイズ記録であった。

シュートが生命線。それ以外はほぼ期待できない。ただ、ブレイクした95~96シーズンには、そのシーズン一時的に復帰したマジック・ジョンソンが「随分バスケット選手らしくなった」と評価していたこともある。92年のプレイオフでマイケル・ジョーダンと乱闘騒ぎを起こしたり、00~01シーズンのニックス戦ではマーカス・キャンビーを怒らせ、ジェフ・ヴァンガンディがそのとばっちりで流血したり、プレイ以外のインパクトの方が(個人的には)強い。

引退後は05年方キャブスのGMに就任し、レブロン・ジェームスを軸にしたチーム作りに着手。レブロンを擁しながら優勝できないことに対する批判もあったが、07年にはファイナルまで進んでいる。12年からはホークスのGMになり、上手く再建を進めているかに見えたが、人種差別的な発言がきっかけで職を失うこととなった。父親は元選手のボブ・フェリー。イタリアへ渡ったことについて、「人生経験・金銭的な面からみれば成功だったが、バスケットのキャリアとしては失敗だった」と当時を振り返っている。


マイケル・スミス


ブリガムヤング大出身で、カレッジ・キャリアを終える前に2年間(84~86年)、モルモン教の布教活動に渡っている。ドラフト1巡目第13位でセルティックスに入団。6フィー10インチのFで、恐らく、高齢化する主力の助けとなることが期待されたかと思うが、大きく期待を裏切り、91年に解雇。以降3シーズンはヨーロッパでプレイするなどNBAでプレイできなかった。94~95シーズン終盤にクリッパーズに在籍したのがNBAでの最後。シュートは上手い。

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