☆94~95シーズン②
この頃のマジックのウィークポイントと言えば、層の薄さ。
シーズン中はそんなに気にならないかもですが…
【ベンチ】
開幕から10試合ほど欠場したスコットは、復帰後もコンディションが整っていなかったようで、しばらくは試運転のような感じ。
一定してローテーションに入るようになったのは、1月半ばを過ぎてからでした。
ただ、完調になってから?はシュートタッチがよく、6マンとして活躍。
平均12.9点はキャリアワーストだった昨シーズンとほぼ同じですが、FG成功率43.9%・3P成功率42.6%はキャリアハイ。
シュートの半分以上が3Pで、ベンチスタートが主&62試合(10試合スタート)の出場ながら150本の3Pを決めました☆
6マン・アワードの投票では5位に入っています。
ブライアン・ショウはチームにフィット。
FG成功率38.9%・3P成功率26.%はいただけませんが、78試合で平均6.4点・3.1リバウンド・5.2アシストはまずまず。
そして、ショウのロブパスからシャックがアリウープを叩き込むパターンはマジックの新しい武器になりました。
このホットラインはのちにレイカーズでも見られるんですが、映画『The Shawshank Redemption(ショーシャンクの空)』に引っ掛けて“Shaw-Shaq Redemption”と呼ばれたそうです。
(映画の公開は94年9月)
シャックは07年に行われたインタビューで、自身のキャリアにおいて最も尊敬するチームメイトとしてショウの名前を挙げています。
トゥリー・ロリンズは故障も幾つかありましたが、51試合に出場。
シャックが出場停止処分を喰らい、スタートした試合では39分もプレイしました(10リバウンド&3ブロック)。
ヒルHCがオールスターのHCを務めたため、ACとしてオールスターにも出場しています。
【ベンチ2】
アンソニー・ブゥイは昨シーズンから少しミニッツが増え、スタッツも全体的に微増しました。
試合によって数分しか出番がないこともありましたが、20分以上プレイした試合では平均9.9点をあげています。
昨シーズン終盤+プレイオフを欠場したジェフ・ターナーは、11月末に復帰。
そこから2ヶ月近くは数分程度の出番しかないことがほとんどでした。
1月末からミニッツが増えますが、それも散発的。
トータル49試合で平均12分弱のプレイと、キャリアワーストのシーズンとなりました。
アンソニー・エイベントは71試合で平均3.6点・4.1リバウンド。
Cのバックアップとして起用されることもありましたが、(少なくともスタッツ上は)成長を見せることができませんでした。
94年の大晦日、自宅で友人にナイフで腕を斬りつけられるんですが、エイベントがその友人を守るために虚偽の供述をするという一件がありました。
当初は、”オーランドのナイトクラブを出てひとり歩いていたら3人に囲まれて口論になり、ナイフでやられた”とした上で、警察への強力を拒否していました。
開幕から2週間ほどで、フロントはキース・タワーを解雇。
ここでドラフト指名していたロドニー・デントと契約を結びますが、デントはまだカレッジ時代に負った怪我から回復しておらず、故障者リストに入ったままシーズンを終えます。
この一週間後にはグレッグ・グラントを解雇。
1試合もプレイしませんでした。
ガート・ハミンクは11月に1試合プレイしただけ。
膝を傷めていたようです。
ブルックス・トンプソンは38試合で平均6.5分しか起用されませんでした。
ただ、キャリア初スタメンとなった4月のレイカーズ戦では持ち前のシュート力を活かし、3P4本を含む20点をあげています。
【拾いもの】
シーズン終盤の4月頭、フロントが契約を結んだのがダレル・アームストロングでした。
ディビジョンⅡのファイエットビル州立大出身で、6フィート・170ポンドのPG。
26歳のオールドルーキーです。
元々はフットボールをプレイしており、バスケを始めたのは高校の最終学年になってから。
カレッジでも最初のうちはフットボールをプレイしていたという変わり種です。
いざバスケットを始めるとそれなりの数字は残せましたが、91年のNBAドラフトでは指名なし。
USBLという独立リーグでプロデビューし、その後はここやGBA、CBAを行ったり来たり(GBAは2シーズンで消滅した独立リーグ)。
93~94シーズンはキプロスへ渡り、マジックと契約を結ぶ前はスペインでプレイしていました。
契約後は3試合(計8分)だけプレイ。来るプレイオフのロスターにも入りません。
オフのサマーキャンプで好印象を残していたようなんですが、のちの活躍をこの時点で予想していた人はいたんでしょうか。